
「千葉パルコ」の営業が残すところあとわずかとなりました。



管理人にとっては、高校時代ぐらいからよく行っていた商業施設として、数多くの思い出があります。
また、昔すぎるうえに当時まだ幼なかったので記憶がかなり薄いとはいえ、「田畑百貨店」だった時代から訪れていた建物であることを考えると、今回のパルコ閉店は本当に残念でなりません。
今となってはそれほどではなくなってしまいましたが、昭和50年代には東京の渋谷や池袋といった大繁華街にあるのと同じパルコが千葉県内に2店舗も進出してきたのは革新的な出来事で、パルコができるだけで街としてのステータスが一気に高まったといっても差し支えなかったでしょう。
当時パルコが1店舗もなかった神奈川県に対して、ちょっとした優越感さえ持てたものです。
それほどの存在だった千葉パルコも近年では蘇我のアリオや郊外の専門店などの影響により不振に陥るようになったというのは隔世の感があるとしか思えません。
パルコバスがあるとはいえ千葉駅などから微妙に距離があることや、クルマで行くにも決して便利とはいえないことからも、敬遠されるようになってしまったのだと思います。
大昔のこの千葉パルコ周辺といえばそれこそ千葉の中心街で、「奈良屋」や「十字屋」といった大型店や商店街が立ち並び多くの人で賑わう繁華街でした。
昭和33年頃までは京成千葉駅が現在のパルコのすぐ近くの中央公園付近にあり、乗り入れていたという事実からしても、いかに栄えていたのかがわかろうというものでしょう。
京成が現行の路線に変更されて以降も、「田畑百貨店」や「扇屋」「緑屋」といった大型店が続々とオープンして賑わいが続きましたが、その後それらの店舗が次々と閉鎖となり、田畑百貨店から変わった千葉パルコが大型店唯一の生き残りとして今日まで営業されてきました。
それらの周辺の大型店のうち、最後に閉店となったのが2002年2月の「十字屋ショッカー」から変わった「メディアバレー」であることを考えると、パルコは単独でよく頑張ってきたとも思えますが、やはり中心街の空洞化により徐々に客足が遠のいていたことは間違いないと思われます。
管理人は最終日の30日にはちょっと行けそうもないので、26日の夜に訪れて最後の買い物をしてきましたが、やはり閉店前のセールが行われているだけに結構賑わっていた反面、すでに商品が少なくなっているテナントも多く、寂しい思いを強いられました。
また、夜にもかかわらず外部で建物を撮影している人も多く見かけましたが、それだけ名残惜しまれているということなのでしょう。
個人的には7階にある「改造社書店」が、高校時代に訪れていた頃からもう何十年も変わりなく、店内に入ると当時にタイムスリップしたような気分に浸れることがたまらないのですが、それももうなくなってしまうことを思うと、とくに寂しくなりました。
ちなみにこの同じ日にリニューアルした千葉駅とエキナカも訪れてみたのですが、あまりの変わりように「ここはどこ?」状態に陥ってしまったと同時に、オープンから1週間が経過しているにもかかわらずどのショップも多くの人で賑わっており、驚かされました。
エキナカだけでもこのような状態であることを考えると、今後駅ビルが全面開業しようものなら、仮に千葉パルコがそのまま営業を続けていたとしても、誰も行かなくなるのではないかと感じたことも確かです。
まさに栄枯衰退をまざまざと見せつけられる思いがしましたが、やはり千葉パルコの閉店は、JR千葉駅の大幅なリニューアルが強く影響しているとみて間違いないでしょう。
千葉パルコの閉店後、この周辺は一体どうなってしまうというのでしょうか?
誰も訪れなくなって悲惨な状況になってしまうような気がしてなりません。
管理人としても何か新たな店がオープンしない限り、もう行かなくなるのは明らかです。
何かがオープンするにしても、よほど集客力の高い店ではないとかなり厳しいでしょう。
個人的な感情としては、老朽化が激しそうなことは理解しつつも、田畑百貨店時代からの長い歴史のある建物はぜひ残して欲しいものですが・・・
また、津田沼パルコは大丈夫なのでしょうか?
千葉パルコと同様、近年ではなにやらパルコらしからぬテナントを次々と誘致していることからしても、決して安泰ではないと思えてならないのですが、せめて津田沼パルコだけは今後も営業が末永く続けられることを願って止みません。
ダイエーが撤退して10年以上経ち、西友も撤退、
イオン、IYもGMSで苦戦。
「津田沼戦争」とか言われていた頃が懐かしい。
つい先日行ったにもかかわらず、不覚にも気づきませんでした。
時代の変化により津田沼も本当にいろいろと変わったものだと思います。
こうなるとやはり津田沼パルコ全体の今後もますます心配になりますが・・・