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2018年05月28日

八千代台の扇屋ジャスコ





京成八千代台駅の西口ロータリーで、かつて「扇屋ジャスコ八千代台店」が営業されていたのはご存知の方も多いことでしょう。
管理人も少しだけその記憶が残っているような気がします。
ただ閉店したのが1986年(昭和61年)2月という記述があるのですが、そんな昭和60年代まで営業されていた憶えはまったくありません。
もしそれが事実であればもっと強く記憶していてもよさそうなものなので、個人的には昭和50年代の後半にはもうなかったという感覚です。
なお、扇屋ジャスコの閉店からどの程度のブランクがあったのかわかりませんが、その後ビルの1階には生鮮食品の「マルトヨ本店」が入り、しばらく営業されていました。
さらにそのビルは2018年現在でも残っていますが、1階は2000年代から「くすりの福太郎 八千代台西口店」となっています。

📷建物右側の上部をよく見てみると、現在でも「マルトヨ本店」の文字が残っていることがわかる


一方、それとは別に同じ西口ににある「八千代台アピアビル」内にも扇屋ジャスコが入っていたという事実を今回初めて知りました。

📷八千代台アピアビル


一体そのアピアの何階に入居し、何を販売する店だったというのでしょうか。
閉店時期は1982年(昭和57年)10月とされているので、八千代台駅西口で2つの扇屋ジャスコが共存していた期間が長かったことは間違いありません。
もしかするとその両店では販売するものが異なっていたのかもしれませんが・・・
いずれにしてもその両店の閉店時期が事実だとすれば、1977年(昭和52年)12月に東口へ大型SCの「ユアエルム八千代台店」が開業して以降も、すぐには閉店にならずに健闘しつつ営業されていたと言えるでしょう。
また、現在西口の近くで営業されているイオン系列の「アコレ」は、イオンの前身がジャスコだったことを考えると、同系列の店舗が八千代台駅前に復活したと考えられなくもありません。

📷アコレ八千代台駅西口店
posted by SS at 23:44| 千葉 ☁| Comment(2) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

続・サンポーSCの記憶





国鉄津田沼駅北口にあった「サンポーショッピングセンター」に関してはこれまでに何度も取り上げてきまたが、今回は屋上で憶えていることをお話したいと思います。

基本的には他の百貨店の屋上と変わらず、屋内のペットショップ、そして屋外に幼児向けの乗り物やゲームコーナーがありました。

このゲームコーナーなどを仕切っている年配の係員がかなりの頑固者で、管理人もまだ幼かったながら負けん気が強かったので、些細なことでよく言い争っていたのは今でも忘れられませんw

あと、汚いうえにどうでもいい話ですが、幼児向けの乗り物が置いてあるあたりにでっかい犬の糞が放置されていて、それを思いっきり踏んづけた記憶もあったり・・・(大汗)

小さな頃から排泄物等に拒絶反応を示す性質だったので、本当に嫌な思いにさせられたものです。

また、管理人自身はまったく記憶にありませんが、袖ヶ浦2丁目さんからいただいたコメントによれば、4階から屋上に上がる階段の途中の踊り場にあった水槽で、ピラニアが飼育されていたとのことです。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

続・サンポーSCの記憶





当ブログでこれまで何度か取り上げてきた津田沼の「サンポーショッピングセンター」についてですが、その後大変ありがたいことに公団東口さんより、よくぞこれほどまでに覚えておられるといたく感心させられるほどの詳しいテナント構成について情報をお寄せいただきましたので、ここであらためてそのままコピペしておきたいと思います。

サンポーショッピングセンター B1〜4F

4F 伊勢源 星電社 三宝事務所

3F 扇屋

2F 伊藤楽器 ライオンカメラ 峰文堂 おしゃれ教室 マルショウ コジマヤ ジュエル

1F ふそう ベビーショップ原 東京シューズ 毛糸深川 丸二 サイキ 不二家 文明堂 オリンピック 中央軒 栗泉堂 山本山 追分だんご 中村屋 アートコーヒー

B1 千葉畜産 宮田屋 九豊ストアー ヤマト青果 丁久 吉野家 新橋食品 船福 丸善 八州屋グロッサリー 遠藤落花生 浜藤 中川屋 大市 船橋ハイクリーナー カトレヤ フードランド三宝

このテナント内容を見てもわかるとおり、扇屋はやはり3階のフロア全体にて営業されていたようです。

あと、4階の「星電社」はおそらく家電関連のテナントではないかと思われる一方で、「伊勢源」というのがなんのお店なのかわかりませんが、個人的には同フロアにファミリーレストランが存在し、よく利用した記憶が確かにあります。当時は周囲に高い建物がなかったため、4階程度でもかなり見晴らしのいいレストランでした。

サンポーの完全閉店前後のことだったと思いますが、他のテナントは閉まっているにもかかわらず、どういうわけかこのレストランだけが営業されており、食事をするため母に連れられエスカレーターを上って行ったことがあったのですが、お客が誰もいないうえに入口のところでウェイトレスが待ち構えていたので、なんだか不気味で入らずにそのまま階段を下りてしまったことがありました。今になって考えてみれば、もう最後の営業だったというのに、かなり惜しいことをしたものだと思いますが・・・

あと、それよりもっと前のことですが、このレストランでボヤ騒ぎがあったことも覚えており、被害はそれほど大きくはなかったものの、何日間か営業休止になったような覚えがあります。
posted by SS at 21:40| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

津田沼扇屋ジャスコの謎解明





前回記事のかつて津田沼に扇屋ジャスコが存在したという事実についてですが、その件に関してシープさんより以下の興味深いコメントをいただきました。

東武百貨店の資料(「グッドデパートメント東武百貨店30年の歩み」)に、東武百貨店船橋店の項に津田沼戦争も触れていて、そこに「サンポーショッピングセンター(核店舗は扇屋)」と載っていたほか、サンポーの中に扇屋があったとのBBSでの書き込みも見られたそうです。

さらに管理人の母にあらためて聞いてみたところ、それらの情報のとおりサンポー内に扇屋が入っていた記憶があるそうで、やはり前回の記事で書いた当方の予想は間違いではありませんでした。

そういった情報等をまとめてみると、サンポー自体扇屋が主体のSCだった可能性がきわめて高いことがわかってきますが、母の話によれば扇屋は呉服がメインで、管理人が真っ先に扇屋だったのではないかと予想した、地下の食品売場がなんのお店だったかは覚えていないそうです。

また、扇屋ジャスコとしての営業期間は前回の記事でも触れたようにほんのごくわずかで、ほとんどが単なる扇屋としての営業だったと考えるのが適当なのかもしれません。

しかしたとえほんの一時期だったとはいえ過去の津田沼に扇屋ジャスコが存在したというのは今となってはとても信じられない事実であり、タイムマシンがあればぜひ確かめに行きたいものですが・・・w
posted by SS at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月20日

津田沼に扇屋ジャスコの謎?





Wikipediaの千葉県内で過去に存在したジャスコの店舗の項目を見てみると、以下のような記述があります。
津田沼店(旧扇屋ジャスコ)1977年頃閉店。「津田沼戦争」勃発直前に撤退。
ちなみに扇屋とジャスコが合併したのが1976年(昭和51年)8月21日のことなので、単なる扇屋として営業されてきた店舗がジャスコとの合併直後に撤退したことになります。管理人の世代からするとそれほど程遠い過去というわけでもないながら、津田沼に扇屋ジャスコがあった事実はまったく記憶になく、当方より上の世代の家族や知人に聞いても覚えている人は誰もおらず、ネットで調べてみても先のウィキ以外は何の情報も出てきません。いったい津田沼のどこに存在し、どの程度の規模の店舗だったのでしょうか?

昭和50年代にかの津田沼戦争の影響により閉店したサンポーSCのことは以前当ブログでも取り上げましたが、そのサンポーはいろいろなテナントが集結しているSCでした。そしてその地下は間違いなく食品売場となっていましたが、これも何か外部の食品関連テナントが入居して営業されていたのではないかと思います。また、同じく津田沼戦争に敗れて閉店したスーパーとして長崎屋もありますが、その食品売場が長崎屋の直営だったのかどうかも定かではありません。

ここでひとつ考えられるのは、それらの食品売場が実は扇屋ではなかったのかということです。とくに古くから営業されていたサンポーのほうがその可能性が高いような気がするのと同時に、食品売場のみならず、地下以外のフロアにも扇屋がファッション関連などの売場をサンポーSC内に出店していたというような事実はなかったのでしょうか。

当方この津田沼の扇屋ジャスコのことを考えると夜も眠れなくなると言ったらオーバーかもしれませんが、かなり気になることには変わりなく、どなたか覚えておられる方はいないのでしょうかねぇ。。。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月17日

サンポーSCの記憶





大型商業施設が次々と進出する以前から津田沼の街に存在し、第一次津田沼戦争勃発の陰で静かに姿を消した「サンポーショッピングセンター」を現在でも記憶されている方々にとってはさぞや懐かしい商業施設ではないかと思いますが、ネットで検索してみてもこれといった詳しい記録がヒットしない状態なので、ここはひとつ管理人が覚えている範囲で記述しておきたいと思います。

まず場所は国鉄津田沼駅北口の現在メガネドラックや住友信託銀行等が入っている榊原第二ビル、そしてダイアパレス津田沼がある一画に立地するL字形の建物で、規模は当方としては地上4階・地下1階だったと記憶しており、店内はいろんなジャンルの専門店が集約された商業施設という印象でした。エレベーターはあったかもしれないものの当方は記憶になく、エスカレーターは店内の2箇所にありながらどちらも上りのみで、下りは階段利用だったと思います。

地下1階は食品売場で、今ではすっかり見かけなくなった円形でゆっくり回転するお菓子台が2機あったのが印象的です。また、その食品売場の片隅、階段かエスカレーター直下のスペースにサッポロラーメンを食べさせる小さな飲食店もありました。

1階と2階は服飾雑貨などファッション系のテナントがメインとなっていましたが、2階にはそのほかにレコードショップもあった記憶があります。

3階は小さなおもちゃ屋があったことしか覚えていませんが、そのお店でよくミニカーを買っていました。また、4階は昔の百貨店に必ずといっていいほどあったのと同様のいろんな料理が食べられる眺めのいい大食堂で、確かワンフロアまるごとだったと思います。

屋上についても昔の百貨店によくありがちなペットショップ、及びゲームコーナーなどの遊戯施設となっていました。

以上、何分にもかなり昔の幼少時代のことなので記憶違い等あるかもしれませんが、当方がサンポーSCについて覚えていることはこんなところです。

カメラ1974年(昭和49年)度に撮影されたサンポーSC(赤枠内)の様子
注:この空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」を利用しております。
ss111017-01.JPGクリックで拡大!

posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(25) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

田畑百貨店火災





今回はちょっと古い話になりますが、1960〜70年代にかけて、「奈良屋」や「扇屋」とともに千葉中心街の3大百貨店のひとつとして「田畑百貨店」が営業されていました。ところがこの百貨店が1971(昭和46)年5月12日に大規模火災に見舞われたのです。火災発生が午前1時22分頃、なおかつ前日の11日は休業日ということもあり、従業員や買い物客から多数の死者が出るといった大惨事にはならなかったものの、ちょうど社長室に泊まり込んでいた同百貨店の社長が犠牲になったほか、63名もの負傷者が出たという資料もあることから、いかに大きな火災であったかが頷けるところです。

管理人自身は何分にも当時まだ幼少期だったため、田畑百貨店自体の記憶はほとんどありません。しかし前日の11日に母親が幼い当方の手を引いて国鉄千葉駅側からわざわざ歩いて同百貨店を訪れたにもかかわらず、休業日だったためかなり憤慨しつつ仕方なく帰ったのですが、その翌日の火災発生のニュースです。母とともに子供ながらに相当驚かされたことは言うまでもありません。

火災後は西武百貨店との業務提携により翌1972年中に営業を再開したものの、以降も火災の痛手が後を引き、1976年にはついに「田畑百貨店」としての営業を終了し、同年暮れに「千葉パルコ」としてリニューアルオープンした次第です。

その千葉パルコは店内などは何度も改装されているとはいえ、建物自体はほとんど田畑百貨店時代ままの状態で火災発生から間もなく40年が経過しようとしている現在でも営業されていますが、火災によるダメージや耐震性などの問題はクリアしているのでしょうか? そもそも過去に大規模火災が発生し、死者も出た建物であることを考えると若干不気味な印象は否めず、さらに火災発生前の建物竣工時からだともはや46年ほども経過しているだけに、ただでさえ相当な老朽化が懸念されるところです。

まぁそのあたりは大企業による商業施設なのできちんと調査のうえ運営されているものとは思いますが、現在千葉パルコへ訪れている若者達は、過去にそんな出来事があったなんてことはきっと誰も知らないことでしょう。(千葉パルコ公式

カメラ火災から立ち直り営業されていた1974(昭和49)年頃の田畑百貨店
国土情報ウェブマッピングシステム空中写真より
ss100604-01.jpg

iモード同じく上空から見た現在の千葉パルコ
posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 今はなきSCの記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする