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2018年01月22日

髪の毛がいい感じに(^^)





管理人が10代や20代だった頃は、髪の毛がとても太くてゴワゴワしていたものですが、それが歳を重ねるごとに次第に細くなり、密度もだいぶ低くなったような感じがします。
ただ、管理人の父親は頭皮が見えるぐらい髪が薄いので、管理人もまだ若かった頃に、自分が今現在ぐらいの年齢になったら髪がヤバいことになるのではないかと予想していたのですが、幸いにしてまだハゲてはおりません。
そればかりか、ここ数年は髪の毛が浮き上がり、まるでボリュームアップした感じに見えるようになってきているのです。

その原因はなんなのか・・・
まずシャンプーやリンスは無名の安物を使っているので、それらの効果ではないと思います。
そうなると、もうかれこれ5年以上前より洗髪後に使用している、イオンPBトップバリュの薬用育毛トニック以外に考えられません。
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実際に髪のボリュームが増えているのかどうかはわからないものの、とにかく浮いてくれて、髪がつぶれてペタンとなっている状態とは印象がまるで異なります。
そのうえ管理人の場合は白髪染めをしているので、髪の見た目は今でも若々しさを保っていると言えるかもしれません。

ちなみに一流メーカーである花王サクセスのボリュームアップタイプのシャンプーも試したことがありますが、管理人の髪にはあまり効果がありませんでした。
また、もっと過去には花王サクセスの薬用育毛トニックも使用していたことがあるものの、液ダレしやすいうえ、とくにこれといった効果が感じられなかったというのが正直なところです。

トップバリュの薬用育毛トニックは液ダレしにくいためとても使いやすく、しかもそういった一流メーカーのものよりも安価にもかかわらず効果があるとは、まったく驚きとしか言いようがありません。
ネット上では何かと良くない評判を見かけるトップバリュ商品で、実際に問題が発覚したことも何度かあるのは把握していますが、個人的には食品、生活雑貨問わずよく購入しています。

あとは今より髪の量が増えることまでは望まないものの、生きているうちはなんとか現状維持して欲しいといったところでしょうか。
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2017年09月25日

あの日から3年・・・

早いもので管理人の母親がいなくなってからまもなく3年となります。

3年が経過しようとしている今になっても、自分の母を思う気持ちになんら変わりはありません。

母のことがつねに頭の中にあるような状態であることも同じです。

そして毎年命日前後のこの時期を迎えると、2014年のことが思い出されて本当に嫌な気分になります。

やはり管理人がこの世で生き続ける限り、そういった思いに変化が生じることはなく、永遠に続いていくのでしょう。

ところで、母の生前、もし母に何かあったら自分はもの凄い悲しみに襲われ、朝から晩まで毎日のように泣き明かすのではないかと考えていました。

ところが、現実には葬儀中はもとより、ひとりでいるときさえも、ほとんど泣くことがなかったのです。

母の余命を知らされてから、管理人自身の身体に通常ではあり得ないさまざまな症状が現れただけに、きわめて強烈な精神的ショックを受けていたことは間違いありません。

それではどうして泣くことがなかったのでしょうか。

もともと管理人の中には絶対に人に泣き顔を見られたくないというかなり強い思いがあるので、葬儀中に泣かなかったのはまだわかるのですが、ひとりでいるときは感動的な音楽を聴いたり、ドラマのシーンを見たりしただけでも思わず涙腺が緩むことがあるにもかかわらずです。

それはおそらく「悲しすぎて泣けない」という状態に陥っていたからでしょう。

人というのは、本当に悲しい出来事が起こったときに、ショックが大きすぎて唖然とさせられたり、心に空虚感が生じて精神状態が停滞したりして、泣くという感情が起こらなくなることが往々にしてあるようです。

また、泣けば少しは気が楽になるとも言われますが、管理人の場合は泣くことによって悲しみが倍増し、生きていることが辛くなってしまうことに恐怖を感じていたほか、泣くというのは母の死をあっさりと認めてしまうことになりそうなので嫌という思いもありました。

管理人は今でも母の他界を完全には受け入れていません。

無理に受け入れる必要はないという思いもあります。

それは、自分自身の心の中ではまだ確実に生きていて、強く見守ってくれいることがひしひしと感じられるからです。

そういったことから、今でも母を思い出して泣くというようなことは、まったくといっていいほどありません。

さすがに辛くなるときはありますが、そうなった際には相変わらず母の生前の動画を見ることにしています。

というわけで、やはり老後も長生きしたいという気持ちにはとてもなれないものの、母が見守ってくれているという思いが、今現在の管理人にとってもっとも大きな心の支えとなり、ほんの少しではありながら淋しい気持ちが徐々に緩和されるようにはなってきています。
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2016年09月26日

あの日から2年・・・

母親を失ってからまもなく2年となります。

2年目の命日を迎えようとしている今になっても、母のことが頭から離れることはありません。

そればかりか、母が生きていた時代がどんどん過去へと遠ざかってしまっていることで寂しい気持ちが募るばかりです。

最愛の存在を亡くしたことを考えると、それも当然かと思いますが・・・

そして、そんな管理人の思いは今後も決して薄れることはなく、生きている限り続いていくのだと思います。

ただ、管理人なりの楽しみもいろいろとあるので、なんとかこの2年間生き延びることができました。

辛くてどうしようもなくなったときには、今でも母の生前の動画を見ることで少しばかり気が楽になります。

また、母が夢に登場することも時々あるだけに、管理人の心の中では現在も生きてくれていると思え、それが救いになっているということもあるのでしょう。

ところで、管理人は子供の頃から心霊現象や亡霊の存在はわりと信じているほうで、現在でも稲川淳二の怪談話をよく聞いたり、ヤラセくさいものが多いとは思いつつファミリー劇場で放送されている呪いのビデオシリーズも面白くて見たりしているのですが、自分自身は霊感がまったくといっていいぐらいなく、これといった心霊体験をしたことも皆無です。

従って、母の亡霊にならば会いたいぐらいなものの、残念ながらこの2年間そういった体験はなく、動画や静止画に映り込んだりということもありません。

ただ、今だからお話すると、管理人の自宅の玄関には来客確認用のカメラを取り付けてあり、毎日ほぼ終日に渡り録画をしているのですが、2年前に母の火葬が行われた当日、その映像に真っ黒い煙のようなものが立ち込め、本来の映像がほとんど確認できないほどになってしまっていたのは不可解な現象でした。

それはまるで火葬炉の中の煙さながらといった感じで、しかもその現象が起きたのは母の火葬とほぼ同じ時間帯であり、それ以外の時間はまったく問題なく正常に映っているというのが本当に不思議でなりません。

それが心霊現象なのかどうかはわかりませんが、やはり通常では考えられない出来事というのは実際に起こりえるものだとつくづく思った次第です。

話が脱線してしまいましたが、このように命日が近づくと当ブログで母に関する話題をつい取り上げてしまうことからも、いかに管理人の母への思いがまだまだ強いかがよくわかろうというものでしょう。

読者の方々には恐縮ですが、そんな状態が来年以降もずっと続いていくことは間違いありません。

もっとも、相変わらず長生きをしたいとはどうしても思えないので、当ブログもいつまで続くかわかりませんが・・・
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2016年03月07日

初めてのインフルエンザ?





3月に入ってからすぐに風邪のようなだるさを感じはじめ、その翌日に頭が割れそうなほどの痛みに襲われると同時に、熱を計ってみたところ39度以上もあるような状態となりました。

その後も解熱剤を飲むと37度台にまで下がるものの、効果が切れると再び39度台にまで上がるの繰り返しで、ときには40度を記録したこともあります。

管理人はまず医者には行かない人なので、これが本当にインフルエンザなのかどうかわかりませんが、おそらく間違いないでしょう。

そして今までインフルエンザにかかったことがあるのかどうかも不明なものの、これほどの症状が出たことは今までなかったので、多分初めてではないかと思います。

それにしても今までインフルというものを甘く見すぎていたとしか言いようがありません。

もっとも恐ろしいと思ったのは、現在では熱も下がりだるさも結構おさまったというのに、合併症のようなものが根強く残っていることです。

まず、ピーク時よりはぜんぜんマシになったものの、今でも咳はまだ出ます。

そしてピーク時に味覚障害が出て、何を食べても味がわからずまずくて仕方ないので、食欲がなくなりました。

それが今では食欲は幸いにして戻りましたが、味覚障害は相変わらずで、味の感じ方が以前とは異なるように思えてなりません。

それと同時に嗅覚障害も発生し、強烈なにおいを放つようなものでもほとんど感じられなかったり、発症前とはまったく別のにおいを感じたりともうめちゃくちゃです。

とくにタバコに以前ではあり得なかったようなきついにおいを感じるようになったことには驚かされました。

こういった味覚障害などは、人によって正常な状態に戻るまで1ヶ月程度も要する場合もあるらしいですが、当方の場合はいつになったら正常になるのか、あるいはもう戻らないのではないのかと不安でなりません。

あと熱などがおさまってから睡眠障害も出てきました。

もともと寝つきがいいほうでなないものの、寝ようと思って布団に横になってから5時間以上も起きっ放しのことがあり、これほどまでに寝られないというのは今までほどんとなかったことです。

それで結局2・3時間しか睡眠を取れずに仕方なく起きると、また頭が割れるように痛くて話になりません。

とにかく発症前の状態に戻るのにはまだ時間がかかりそうですが、もうインフルエンザはこりごりです。
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2015年10月26日

およそ23年ぶりの街





新宿から小田急ロマンスカーに乗って本厚木へ行ってきました。

7年ほど前に登場した車両ながら、現行のロマンスカーの中では最新のMSE60000形に乗車したのは初めてのことです。

クリックで拡大!

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そして乗車中、海老名付近を通りかかった際に、今月29日のグランドオープンを控えている「ららぽーと海老名」を望むことができました。

🎥10秒ごろより




その後新宿から44分で本厚木に到着したのですが、考えてみればこの街を訪れたのは1992年頃以来になるので、かなり久しぶりのことです。

まずはその前回訪れた際にも寄ったことが思い出される「厚木サティ」を引き継いだ「イオン厚木店」に行ってみようと思い、そちらの方向へ歩いていたのですが、イオン脇の通りを挟んだ反対側に「アミューあつぎ」なるなかなか大きくて興味を惹かれるビルがあったので入ってみました。

地下1階から4階までがダイソーやブックオフをはじめとしたおよそ20店舗が営業されている商業ゾーン、5階から8階までが公共ゾーン、最上の9階には映画館が入っており、これは何かのSCが撤退して再生されたものに間違いないと思ったので、さっそく調べてみたところ「厚木パルコ」跡なんだそうです。

厚木パルコは1994年3月に開業したらしいので、1992年頃から本厚木へ訪れていない管理人はパルコがあることをまったく知りませんでした。

その後2008年2月にパルコが閉店となり、アミューとして再生されたのが2014年4月のことなんだそうで、6年以上もの間ずっと閉鎖状態が続いていたということなのでしょう。

商業ゾーンはブックオフ以外は残念ながら閑散とした印象を受けざるを得ませんでしたが、せっかく再生しただけに、テナントの相次ぐ撤退などが今後起こらなければいいと思います。

いっぽうのイオンも、サティ時代からあまり変わらなさそうな店内は地下の食品売場を除き古臭くて寂れている感じが強いだけに、大幅なリニューアルが必要かもしれません。

やはり古い形態のGMSはどこも厳しそうといった印象です。

📷「アミューあつぎ」と「イオン厚木店」
クリックで拡大!


そのほか、駅ビルの「本厚木ミロード」については、駅直結ということもあり相変わらず栄えていました。

なお、時間の都合でイオンとは駅の逆方向に古くからあるヨーカドーに行けなかったのは残念なところです。

🌑本厚木駅周辺の地図
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2015年09月28日

あの日から1年・・・

管理人の母親が亡くなってからまもなく1年になろうとしています。

ちょうど1年後を迎えて、記憶がまだ鮮明に残っていることもあり、やはり旅立った前後の状況を思い出さずにはいられません。

また、命日直前の自分にとって、命日以降になると1年前を振り返っても母がもういないという状態になってしまうことがとても恐ろしく辛いものです。

この1年間、母のことを忘れられた日は1日たりともありませんでした。

それどころか、時間が経てば経つほど母に会えないことへの寂しさが募る一方のような気さえします。

やはり管理人にとって母の存在がどれほど大切なものだったかをあらためて感じさせられると同時に、そういった思いは何年が経過しようとも、生きている限り生涯に渡って続いて行くことでしょう。

そんな自分にとって心が救われる気分になれるのは、なるべく早く母のところへ行くと考えることです。

やはりどうしても長生きしようとは思えません。

そのため、タバコの本数が増えたり、食べるものにも気を使わなくなったりと、母の生前の頃以上に健康に関しておろそかになったというのが正直なところです。

ただ、以前にも書いたように、当方はこれまで身体に不具合が起きても医者にも行かずことごとく放置してきたにもかからず、どういうわけかみんな自然に治ってしまうので、もしかすると長生きしてしまうのではないかという不安もありますが・・・

あと母をがんから救ってあげられなかったことに対する後悔もいまだにかなり強いものがあり、その点でも毎日のように心が痛んでいるのですが、著名人でもがんが進行すると助からず次々と亡くなっている現状を考えると、どうしようもなかったと思えることも確かです。

つい先日、女優の川島なお美さんが胆管がんによりまだ53歳という若さで亡くなられたのも、そのうちのひとつと言えるでしょう。

9月はじめの記者会見でテレビに出られた際、見た目ではその激やせぶりにかなり危ないのではないかと感じさせられた反面、口調はとてもお元気そうで前向きな発言も多かっただけに、それからわずか17日後に訃報を聞かされようとは、あまりの早さに強い衝撃を受けました。

それから少し前の9月19日にはフリーアナウンサーの黒木奈々さんが胃がんにより32歳で、また5月22日には丸山夏鈴さんというアイドルが肺がんによりまだ21歳という若さで亡くなられたことなどにより、がんという病気の恐ろしさをあらためて痛感させられる次第です。

そして、そういった例があることを考えると、75歳まで生きた母はまだよかったのではないかと思えなくもありません。

管理人自身ががんで命を落とす分には構わないものの、まだまだ生きたいと思っているのに亡くなってしまう方や、愛する人を失って悲しむ方がこれ以上増えないよう、できるだけ早く進行したがんでも治せるようになる日がくればいいのですが・・・
posted by SS at 23:32| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

日本は大丈夫なのか?





5月30日の管理人は用事があって埼玉県の大宮に行っていました。

その帰りにJR武蔵野線で南越谷から西船橋まで戻るつもりで乗車していたのですが、新八柱駅に停車した途端、車両があり得ないほど大きく揺れたので、すぐに大きな地震だとわかりました。

その後一旦ドアが閉まったので、JRでそんな大きな地震が起こったにもかかわらずすぐに発車できるのかと思ったのも束の間、すぐにドアが開いて大地震発生のためしばらく運転を見合わせるとのアナウンスが入ったのです。

それから当方さっそくスマホで地震情報を見てみたところ震度4程度なので、間もなく運転が再開されるだろうと予想してそのまましばらく車内で待機していたのですが、15分ほど経過しても一向に動かず、いつになったら再開されるかわからないので、急遽予定を変更して新京成の八柱駅に行ってみたところ、若干遅れながらも動いていたので、とくに混乱に巻き込まれず無事帰宅することができました。

以前にも都内で結構大きな地震が発生した日に出先から帰る際、他のほとんどの鉄道が大混乱している中、新京成は普通に動いていたのですんなり帰れた経験があるのですが、今回もまたそんな新京成の強さに感心させられた次第です。

そして、今から10年以上前の2004年(平成16年) 10月23日に発生した新潟県中越地震の当日も管理人は大宮を訪れており、本震と余震の大きな揺れでとても怖かった記憶を思い出さずにはいられませんでした。

実はここのところ各地で火山活動が活発になっていたり、5月25日にも関東でわりと大きな地震があったばかりだったため、この日も大地震などが起きそうな予感はしていたので、当方としては案の定といったところでしょうか。

それによりあまり遠くまで行くと帰れなくなる不安もあったのですが、地震が発生したのがちょうど新京成に乗り換えることができる新八柱だったのは、つくづく運がよかったと思います。

また、マグニチュードは8.1と大きかったものの、震源がかなり深かったことで巨大地震にはならずに済み、大きな被害もなかったことは幸いだったと言えるでしょう。

しかし震源がもしもっと浅かったらと思うとゾーッさせられるのと同時に、近いうちに首都圏がそういった震源の浅い巨大地震に襲われるリスクが高いような気がしてなりません。

先にも触れたように日本各地で火山の噴火だらけというのもかなり気になります。

もし、いつ噴火してもおかしくはないとされている富士山が大噴火を起こしたら、首都圏も壊滅的被害を被ることになるでしょう。

日本は近いうちにあちらこちらで人が住むことが難しいような状況になると考えるのは大げさでしょうか?

少なくとも、現在のような平穏な日々がこの先長くは続かないということを、肝に銘じるときがきているように思えてならないのですが・・・
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2015年03月30日

あれから半年が経過して・・・

管理人の母親が亡くなってから間もなく6ヶ月になろうとしています。

半年も経過すれば生活自体はさすがに通常通りに戻ってはいるものの、とても母がいない状態に慣れることはありません。

やはり長年に渡り一緒にいることが当たり前だった家族を失ってしまった事実を、そう簡単には受け入れられるものではないのだと思います。

それに母の生前、もっとも長く会わなかった時間といえば、せいぜい高校の修学旅行時の1週間程度でしたが、それがもう半年も会っていないことになるわけで、とっくに限界を通り越しているといえるでしょう。

この分でいくと、時間が経てば経つほど母のところへ早く行きたいという気持ちがどんどん高まっていきそうな気さえします。

そして母の他界に加え、今年度は長崎屋、京成赤電や、それ以外にも消滅してしまったものがあまりにも多く、もうなにもかもが終わってしまったという印象で、その度に大きなショックを受けることですっかり疲れ果ててしまいました。

それによりますます生きている意味が薄くなってしまったように思えてならず、たとえ今すぐに人生が終わったとしてもなんの悔いもありません。

ちなみに当方は母の再期を看取ることができなかったので、その前日に病院へ面会に行ったときが最後の別れとなったわけで、本日30日はそれからちょうど6ヶ月となります。

また、1年前を振り返ってみれば、5ヶ月間の入院生活を経て母が家に帰ってきて心底喜んだのが3月31日でした。

まさかそれからたったの半年しかもたないとは思いませんでしたが、そういったことが今でも次々と頭に浮かんでしまう状態もまた苦痛でしかありません。

とはいえ、やはりみずから命を絶つ勇気などとてもないので、今のところはどうしようもなく生き続けるしかないといったところでしょうか。

あれからもう半年も経つとは、あり得ないほどあっという間だったような印象で、歳を重ねるごとに時の流れがどんどん早く感じられるようになっていることを思うと、そんなに焦らずとも自分の死期だってそれほど遠くないうちにやってきそうな気もするというものですが、とにかく成り行きにまかせつつ、生きているうちは趣味などいろいろと楽しんでいきたいと考えている次第です。
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2015年01月26日

悲しみを静めるために

管理人の母親が亡くなってからまもなく4ヶ月になろうとしています。

まだまだ母のことを思い出して辛くなることはありますが、それでも今では徐々に気持ちが落ち着くようになってきました。

それは、亡くした後も母と一緒に過ごしている気分になれるよう、自分なりにいろいろなことを実行したからだと思います。

今回はこの4ヶ月の間に、当方が悲しみを癒すために実行したことをご紹介しましょう。

まずは家の中で過ごす時間が長い自分の部屋や居間を中心に、故人の写真を多数飾ることです。

人によっては一時的に写真も見たくないという状態にまで陥るかもしれませんが、個人的には母の生前の写真を飾ることで、いつも近くにいる気分に浸れるようになっています。

写真をプリントするために、画像を綺麗に印刷できるプリンターも新たに購入しました。

そして写真ばかりではなく、動画もできるだけ見ることです。

母が旅立った直後は、母が映っている動画なんて悲しみが増すばかりなのでとても見ることができないだろうと思っていましたが、今では動画を見ることでだいぶ心が救われるようになっています。

幸いにして管理人の場合、家庭用のビデオカメラがようやく普及しはじめた平成初期にソニーのハンディカムを購入したので、母がまだ若かった頃からの映像が多数残っているほか、その後もデジカメ等に移行しながら動画撮影を継続してきたので、母の映像は膨大な量になるのですが、それらが今になってかなり役立っていると言えるでしょう。

母が映っている動画を寄せ集めて複数のPCで見ることができるよう、1TBのポータブルHDDも購入しました。

ちなみに管理人の仕事は自宅でのPCを使ったデスクワークがメインなのですが、仕事中にも母の動画を見ています。

ただ、仕事をしているPCで動画を見ることはできないので、もう1台ある別のPCを使い、YouTubeなどの動画を見る目的で買ったUSB接続の8インチサブモニターを繋げて動画を流しているのですが、このモニターがこれほど重宝するとは思いませんでした。

さらに当方が母と一緒にいるような気分になるように実行したのは分骨です。

納骨前に居間の祭壇と自分の部屋用に分骨しました。

そのうち居間の祭壇向けにはヤフオクで覆い袋付の小さな骨壷を1000円以下で落札し、そこに入れています。

また、自分の部屋用に分骨した遺骨を飾るために、部屋にもプチ祭壇を作ってしまいました。

極小ながらちょうどデスクの片隅に何に使おうか迷っていたスペースがあったので、そこへ遺骨とともに母が使っていたお茶碗に米、お椀には塩を入れ、水や好きだったお菓子も供え、造花ながらお花も添えて縮小した遺影とともに飾ってあります。

暗所でもあるので100円ショップで購入したUSB接続のLEDライトでこのプチ祭壇をライトアップしてみたところ、ずいぶん雰囲気がよくなりました。

さらに外出時のために、同じく100円ショップで筒状のカプセルが付いたキーホルダーを買ってその中にも分骨し、縮小した遺影とともにいつも持ち歩くバックに入れることで、母と一緒に出かけているような気分になれたことも確かです。

なお、分骨したい場合は納骨後だとちょっと厄介なことになるので、行うのであれば納骨前がいいでしょう。

あとは家族の他界後、着ていた服や使っていた物だけが残るというのは本当にむなしいものでありながら、とても処分する気にもなれないものですが、管理人の場合はそれらを逆手にとり、さきほどのプチ祭壇のように母の遺品を活かしたり、とくに好んで着ていた服を部屋の中に飾ったりすることで、これらもまた母を失った辛い気持ちを静めてくれているように思えます。

以上、ここまでやるというのはかなり異常だと思われてしまうかもしれませんが、それらにより個人的にはだいぶ気持ちが安らいでいるといったところでしょうか。

大切な家族を亡くして悲しみに暮れている方々にとって、今回の記事内容が少しでも心を落ち着かせるためのお役に立てば幸いです。
posted by SS at 22:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月20日

母の入院や他界とともに・・・

管理人の母親が亡くなってから20日が経過しようとしています。

現在でもとても気が晴れることはなく、母に会うことができないと思うと相変わらず辛くなりますが、一時の深い悲しみからは解放され、今しばらくは生き続けて行こうという気にもなれたりと、なんとか乗り越えられたと言えるのかもしれません。

それも当ブログのコメントで励ましてくださった方々のおかげだと感謝しております。

また、母の入院中はいつ容体悪化の知らせが入るかなど、つねにビクビクしながらの生活を強いられていたのですが、もうそういう心配をする必要がなくなったという点では肩の荷が下りたとも言えそうです。

ただし、管理人自身の身体がとんでもないことになってしまいました。

実は母が9月の初めに入院した翌日から管理人の腹部から背中にかけての右半分に痺れるような違和感が生じるようになっていたのです。

さらに母の余命宣告を受けてからすぐに、その部分にあり得ないほど無数の湿疹のような症状が現れ、痺れとともに痒みも出るようになりました。

それから2日後ぐらいに今度は38度台の熱と激しい頭痛や関節痛に見舞われ、ちょうどその頃に流行っていたデング熱かとも思ったのですが、とくに蚊に刺された覚えはないので、おそらくは母のことで精神的ショックを受けた影響によるものだとしか思えませんでした。

これほどの状態になりながらも、当方はもともと極度の医者嫌いなうえ、母のことを考えると自分なんかどうなってもいいという思いもあって、とても病院へ行く気にはなれなかったのでそのまま放置していたのですが、その後湿疹のような症状はなんとか治まったものの、痺れと痒みはなおも続き、母が亡くなってからはそれがますますひどくなり、いきなりピリピリとした痛痒さに襲われるような状況が続きました。

そして母のお通夜を迎えた当日になると、今度は右足の付け根からつま先まで足全体に痺れを感じるようになってしまったのです。

さすがにこれはまずいと思い、葬儀が終わった翌日に病院へ行く決心をして、母がいたのと同じ病院の整形外科に診察を受けに行ったのですが、腹部から背中にかけての症状と足の痺れは無関係とのことで、まずは足の痺れに関する飲み薬を処方されて帰宅しました。

さらに腹部から背中にかけての症状は皮膚科だというので、その翌日に同じ病院の皮膚科に診察を受けに行ったところ帯状疱疹とのことで、塗り薬を処方されました。

それから10日ほどが経過しますが、毎日欠かさず飲み薬を服用しているというのに、右足の痺れがまったく治まらないどころか痺れ方がますますひどくなり、おまけに左足も右足と同じぐらい痺れるようになってしまい、感覚も麻痺しているので靴やスリッパを履くのにも普通のようにはいかず、クルマの運転もできません。

自力歩行は可能なのでまだいいものの、両足が強く痺れた状態で歩くとどうしても足の疲労感が強くなるほか、感覚もおかしいのでつまづいたりよろめいたりすることもあり、またこれ以上ひどくなると歩けなくなってしまうのではないかという不安も感じます。

一方、腹部から背中にかけての痺れや痒みも、毎日塗り薬を付けているにもかかわらず効果がなく、そのうえ左側の同じ部位にも痺れを感じるようになってきました。

とにかく腹部から下全体が強く痺れているような状態になってしまい、股間のあたりも常に何かで強く締め付けられているような感覚なので、トイレでの排泄時にもかなり違和感があります。

ネットで調べてみると帯状疱疹というのはどうやら早期治療が重要で、放っておくと帯状疱疹後神経痛に陥り、痛みや痺れが長期に渡って続くとのことで、当方はまさにそうなってしまったことが考えられ、要するに手遅れなのだと思います。

そのことについては家族や複数の友人から1日も早く病院に行くことを度々すすめられていたにもかかわらず、頑なに行かなかった当方が悪いので、自業自得としか言いようがありませんが・・・

また、帯状疱疹はストレスや疲れが大きな原因でもあるらしいので、自分の場合もやはり母のことで精神的に強いダメージを受けたことによるストレスが原因で間違いないことでしょう。

そして、当方としては腹部から背中にかけての症状と足の痺れは決して無関係ではないような気がしてなりません。

受診した整形外科の医師によれば、薬を飲んでも治らない場合は手術になるんだそうですが、個人的には手術は絶対に嫌なので、ほかに何かいい治療法がないかネットでいろいろと模索しているところです。

あと、それらとは別に皮膚科に受診しに行った日あたりから、今度は右側の胸部あたりの激痛に悩まされるようになりました。

管理人は喫煙者で、もともと肺のあたりが痛むことはよくあったのですが、今回のはそれとは別の部位で、しかも痛み方もまったく異なるのです。

仮に肺ガンだとすると、症状が出たときにはもう遅いらしいので、かなりヤバいかもしれません。

母の入院や余命宣告などことあるごとに、管理人の身体もこれまでに経験したことのないようなとんでもない状態になり、その後もまったく治らないどころかどんどん悪化しているというのは、同じく容体が徐々に悪くなってついには他界してしまった母との絆みたいなものさえ感じられるというものですが、母が亡くなった後は当方の守り神になってくれているはずなので、もういい加減治ってもよさそうなものなのに、さらに酷いことになっているうえ、胸の痛みまで生じるようになるとは、母はきちんと成仏できていないということなのでしょうか。

なんかあの世にいる母に呼ばれているような感じがしてならないのですが・・・

というわけで、管理人自身としては死ぬにはまだ早すぎるとは思っていますが、残念ながらあまり先は長くないかもしれません。。。

ただ自分が生き続ける限りは当ブログも継続していきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
posted by SS at 21:00| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月13日

母との再会を信じて・・・

今回もまた母に関する内容になってしまうことをお許しください。

まず、母が亡くなる前日に病院へ面会に行ったのですが、そのときはまだ普通に相部屋だったので、まさか翌日に永眠してしまうほど危険な状態だとはまったく想像がつきませんでした。

そして当方は病院で人が危篤状態になったときはICUに入れられ、医師や看護師が延命のために出来る限りの努力を尽くすというイメージがありましたが、母の場合亡くなる当日の朝になって入れられたのは、医師の目が届かなさそうな単なる個室でした。

しかも息をひきとる際に付き添っていたのは父のみで、医師や看護師が来たのは亡くなってからだったそうです。

これはもう末期ガンの患者で救いようがないので、病院側が完全にさじを投げていたとしか言いようがありません。

ちなみに管理人は父より母がもう危ないとの連絡を受けてから亡くなるまでわずか20分ほどしかなかったため、最期を看取ることができませんでした。

もちろんその点の後悔はありますが、10年近く前に愛猫が旅立つのを見届けたときの辛い状況が今でも忘れられないほどなので、より悲しみが深くなりそうな母には立ち会わなくて正解だったような気もしますし、かなり複雑な心境です。

あと、前回は悲しすぎて涙もほとんど出ないと言いましたが、その後母が他界したことを徐々に実感させられるにつれ、途方もない悲しみに襲われるようになりました。

そして葬儀ではお通夜から一晩中母に寄り添いずっと顔を眺めていました。

化粧を施されていることもあったと思いますが、まるで若返ったような綺麗なお顔でした。

ただ単に眠っているようにしか見えないということもあったので、起きてくれるのを期待してしまったほどです。

その後告別式が営まれ出棺となり、母のご遺体もついに遺骨となってしまいました。

自分は人に泣き顔を見せるのが嫌なので、結局葬儀中は一度も泣くことはありませんでしたが、葬儀を終えて帰宅し、ひとりになったときはもうダメでした。

それからも数日間は深い悲しみが続きましたが、母の遺影がいかにも本人らしく、優しげで綺麗な写りで、なおかつ「頑張りなさいよ!」と励まされているような感じもして、見るたびに心が癒されるようになってきたのです。

それに母はしばらく入院生活が続いたり、葬儀場に安置させられていたりと家から遠ざかっていたので、骨にはなってしまったとはいえ久しぶりに家に帰ってきてくれて、一緒にいられるという気分にも浸れています。

あと、管理人は自分自身が他界した場合、向こうの世界で必ずまた母と再会できると考えることにしました。

そう思うことで悲しみがだいぶ和らぎ、なにも今すぐに母の後を追って死ぬことはなく、もう少し生きてみようという気にもなっています。

なので、母とは死別だとか、永遠の別れだとは決して思っていません。

ここしばらく心労がたまり、悲しみに暮れる毎日だったので笑顔になることもほとんどありませんでしたが、今では気分が徐々に楽になり、笑いも戻ってきました。

というわけで、まだ完全に乗り越えられたのかどうかはわかりませんが、管理人にとってはなによりも悲しい母親の他界を体験し、人生でもっとも嫌な儀式である母の葬儀を終えたことで、今後はもう今回ほど悲しく辛い思いを強いられたり、嫌な気持ちにさせられることもないでしょう。

母と再会できる日を楽しみにしつつ、今しばらくは生きていきたいと思っています。

当ブログをいつもご覧の方々にもご心配をおかけしたかもしれませんが、管理人が健在な限り更新を続けていきたいと考えておりますので、これからもよろしくお願いします。
posted by SS at 23:23| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

母を失うということ

10月1日午後、管理人の母親が天国へと旅立ちました。
75歳でした。

母はもともと脳梗塞や水頭症といった病気を患っていましたが、昨年の11月に風邪をこじらせた際、意識までなくなってしまうような状態になり救急搬送のうえ入院。

その2日後に意識は無事回復したものの、その後の検査で胆嚢にガンが見つかり、今年の1月に手術をして摘出。

その時点ではガンが初期だと聞いていたので、摘出によりてっきり長生きできるものだとばかり思っていました。

そして入院生活が長引いたため寝たきりになってしまったながら4月に無事退院し、このときはまた一緒に暮らせることが心から嬉しかったものです。

しかし夏頃から段々と食事を飲み込めなくなり、どんどん状態が悪化していくのに加え、肺炎も疑われるようになったために9月に入ってから再入院となってしまうことに。

それで初期だと聞いていたガンが実は手術をした時点で他の臓器に転移していたらしく、そのせいで状態が悪くなってしまったようで、しかも再入院直後に医者から余命1ヶ月と宣告されてしまったのです。

それから腹水は溜まるわ手足はむくんでくるわと、末期ガン患者の典型的な症状が出て、9月の終わりぐらいになるとついに声を出して苦しむようになり、結局は余命宣告から1ヶ月も経たないうちに、腹水の圧迫による呼吸不全が原因で帰らぬ人となってしまいました。

世界でたったひとりの大好きだった母親を失ったことの喪失感とつらさは、かつて味わったことがないほどのものです。

本当は大泣きしてしまったほうが楽になるのかもしれないというのに、余命宣告でショックを受けてから他界後の現在にいたるまで、悲しすぎて涙もほとんど出やしません。

一時たりとも母のことが頭から離れず、あまりの寂しさに押しつぶされそうで、空虚感により無気力な状態も続き、何をやってもどこへ行っても楽しいと思えなくなってしまいました。

管理人はこれまでの人生で死にたいと本気で考えたことは一度もありませんでしたが、今はもう自分なんてどうなったっていいという気持になっています。

まだ若い頃から、もし母がいなくなったら自分は生きていけるのだろうかとよく不安になったものですが、今まさにそのときを迎え、やはり今後生きていくのが苦痛のように思えてなりません。

自分が生き続けるためにも、母は絶対になくてはならない存在でした。

まぁ当方にはみずから命を絶つ勇気なんてとてもありませんが、ついそんなことを考えてしまうほど悲しくてつらい気分だといったところでしょうか。

母には女性の平均寿命とは言わないまでも、せめて80歳を超えるまでは生きていてほしかったものです。

自分にとっては本当に早すぎる他界でした。

これほど医療が進歩している現在に、その命を救ってあげられなかったことが悔やんでも悔やみきれません。

亡くなるまでの数日間、病院に行くと大好きな母が目の前で苦しんでいるというのに、どうしてあげることもできずただ見守ってあげるしかないという状況が続き、本当に地獄のような毎日でした。

できることなら母の病気をもらって、身代りになってあげたいと思ったほどです。

そんな母は子供がいくつになってもいろいろと心配したり気を使ってくれる、本当に心の優しい人でした。

子供がやりたいと思ったことを、たとえ父が反対しても、賛成して応援してくれる良き理解者でもありました。

若い頃はピアノやエレクトーンの講師、そして晩年は大正琴の師範と、つねに努力し続けてきたその姿に、管理人自身も多大なる影響を受けた、心から尊敬に値する立派な母親でした。

母さん、自分を育ててくれてありがとう。

母さんの子供で本当に幸せでした。

自分にとっては最高の母親でした。

ろくに親孝行もしてあげられずごめんなさい。

これからもずっと天国から見守っていてくださいね。

なんだか今回は悲しみに満ちた私的すぎる内容になってしまい申し訳ありません。
posted by SS at 21:00| 千葉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

とんだ週末に・・・(・_・;)





当ブログをご覧いただいているみなさんは、この週末いかがお過ごしでしたでしょうか?

当方土曜日はほぼ休日なので、家にずっと引きこもっているのではつまらず、ちょっと用事もあったため、たまには大雪の中を歩いてみるのもいいかと思い、午後3時から8時頃にかけて出かけていました。

それにしても予報通りとんでもない大雪でしたねぇ。。。

北海道出身のこの人は久しぶりの大雪にすっかりはしゃいじゃっていましたが・・・(リンク

当方はとてもそんなどころではなく・・・(-_-;)

大雪自体はこれまでにも何度か経験したことがあったながら、今回ほどの猛烈な吹雪は人生初でした。

それから、管理人はどちらかというとガッシリとした体格なので、たとえ雪道でも転ばない自信があったものの、店舗内のツルツルとした床に雪がうっすらと積もっていたり、靴底に雪が付着したまま足を踏み入れたりしたときに、思わずコケそうになったことが何度かありました。

これはかなり気をつけたほうがいいでしょう。

千葉県内はとくに積雪量が多かったみたいで、夜になると鉄道が軒並み運行できなくなりましたが、路線バスは若干遅れながらもしっかりと動いていたことには感心させられたと同時に、とても助かりました(^^)

ただし鉄道が止まったので人が集中したこともあり、かなり混雑していましたが・・・

ということで、少しは北海道や東北などに近い、ある意味貴重な体験ができたのではないかと思いますが、向こうでは雪の降る量がもっともっと多く、気温も大幅に低いわけで、そういった地方の方々の苦労がつくづく偲ばれました。

ちなみに翌9日も鉄道が朝のうち動いていなかったり、クルマの通行が結構多い道路でも雪が夜になってもまだかなり残っていたり、前日には動いていたはずの路線バスも終日運休になったりといった影響が続き、いかにすごい大雪だったかをあらためて思い知らされた次第です。

カメラ船橋駅のロータリーなども辺り一面雪化粧
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2013年12月30日

2013年の目標達成!





2013年も残すところわずか1日となってしまいました。

年を重ねるごとに1年がどんどん短く感じられるようになり、本当にイヤになりますが・・・

ところで、管理人の今年1年の目標は、なんといってもPCを入れ替えることでした。

2007年ごろより使用してきた日立のディスクトップPC「Prius Air」は、購入当初こそ地デジチューナーや録画機能等が付いた高級機だったものの、近頃ではあまりの低スペックと経年劣化により動作がかなり鈍くなり、我慢の限界に達していたのです。

しかも当方の場合、仕事でも自宅のPCを使っているだけに、そんな軟弱なものではとても話になりません(-_-;)

なのでもっと早く買い替えるべきだったのですが、多数のソフトを入れ替えなければならないのが面倒だったり、ひとつのものをできるだけ長く使う性格ということもあり、なかなか踏ん切りがつきませんでした。

しかし、そんな当方に入れ替えを決心させたのは、来年4月9日のWindows XPサポート終了のニュースです。

そこで、その日立のディスクトップPCと、もう1台の富士通FMVノートPCも同じくXP機で低スペックだったので、2台とも入れ替える決心をしました。

新品はとても買う気になれず、最新のOSだとまだ対応していないソフトが多かったりしそうなので、どちらもWindows7の中古にすることにして、ヤフオクでHPのディスクトップPCと、東芝のノートPCを無事落札!!

前者はCore2Duo E7400でメモリ4GB、HDD容量が1TB、DVDスーパーマルチドライブ搭載で17000円程度、後者はCeleron 530ながらメモリが2GB、さらに同じくDVDスーパーマルチドライブが付いて5500円程度で落とせました。

どちらもそれまで使っていたPCとは雲泥の差で、ほとんどストレスを感じることなく使えるようになったのはありがたい限りです♪

ただ、Windows7がわりと使いにくかったり、それ以外の理由もあって、サポート終了ギリギリまで使い倒すことのできるXP機も新たに購入しておきたくなり、その後レノボのディスクトップPCを2700円ほどで落札!!

Core2 Duo E4500でメモリは2GBでありながら、フルHD動画もスムーズに再生できるぐらい十分な性能で、現在のところはこのレノボ機をメインで使用している状態です。

といった感じで合計3台のPCを購入したわけですが、送料を含めても合計で3万円もかからなかったわけで、昔は新品のPCを1台10万円ほども出して買っていたことを考えると、いずれも中古とはいえスペックの高いPCをすいぶん安い値段で買えるようになったものだとつくづく思います。

さらにモニターも15インチと貧弱だったので、年末ぎりぎりになってHPの比較的新しい19インチのモニターを3000円ほどで落札しました。

それから、極小の限られたスペースの中にディスクトップPC2台とプリンター、大型モニター、周辺機器などをどうやって設置するかも大きな課題だったのですが、ダイソーで販売されているジョイントラックやボード類が本当に役に立ちました!

そんなこんなで今年の目標を無事達成することができ、PC関連の環境がすっかりよくなった次第ですp(^-^)q

それでは、今回が2013年最後の記事となります。
本年も当ブログをご覧いただきありがとうございましたm(_ _)m
来る2014年もまたよろしくお願いいたします!
posted by SS at 18:44| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月02日

成田三里塚方面へ・・・





先日、ちょっと成田方面に用事があり、夕方からクルマで出かけたのですが、その際夕食をとるために入ったお店が公津の杜にある「くるまやラーメン」でした。(くるまやラーメン公式

同行していた連れの希望もあり、一旦通り過ぎたにもかかわらずわざわざUターンまでしたのですが、管理人自身は外でラーメンを食べるのがあまり好きではないため、このときもチャーハンを食べるつもりで入ったというのに、残念ながらこのくるまやにはチャーハンがなかったので、仕方なく麺類にすることとなりました。

注文したのは味噌チャーシューで、食べ始めはまぁ美味しく感じられたながら、かなりこってりしたラーメンだったので食べているうちにだんだんと飽きてきて、おまけに厚切りのチャーシューがこれまた結構クドくて、一応完食はしたものの当方にはかなりキツく、いかにも若者向けのラーメンといった印象でした。

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それに加えてくるまやでは麺類を注文すると希望により無料で半ライスも付けてくれるのはいいサービスだと思いますが、その半ライスと餃子も一緒に食べたのでもう本当に満腹になり、食べた後もしばらく胃もたれ状態が続いたほどです(^^;

その後用事のある三里塚方面へクルマを進ませたのですが、実は公津の杜で食事を済ませたのは、大変失礼ながら三里塚の方には飲食店がほとんどなさそうなイメージがあったからだというのに、そこへ行くまでの道沿いにまぁ仰山あるわあるわw

しかも三里塚に入ったらそこにもくるまやラーメンがあるのを見かけて、公津でわざわざ戻ってまで入る必要はなかったと連れと話していたのですが、まさか同日にその三里塚のくるまやで強盗事件が発生しようとは・・・(大汗)。(スポーツ報知

普通に営業されている中での犯行だったとのことで、もし当方もこちらのくるまやに入り、犯行時間が2時間ほど早かったならば、ともすると巻き込まれていたかもしれません。。。

もっとも、犯人はこのくるまやの常連客で、犯行後に逃げることもなくお店の駐車場にとどまっていたとされていることから、ただ単に警察に捕まってムショ暮らししたかっただけのようにも思えるところですが・・・

あとさらに驚いたのは、ちょうど居合わせたお客の中に犯行の様子を堂々と写真撮影をした者がいることです。
今回はたまたま何もなかったからよかったものの、撮影されたことにはイラ立った様子だったとされていることからもわかるように、犯人によっては腹を立てて殺傷事件にまで発展する可能性も決して否定できないだけに、警察でもこういったケースでは絶対に撮影しないようにと注意を呼び掛けています。

とにかくこんな個人的にめったに行かないようなところでちょうど同じ日に強盗事件が発生するとはかなりビックリとしか言いようがありません!

それと三里塚の目的地に到着したのは夜9時を軽く過ぎていたのですが、成田空港から離陸する飛行機の数が半端なく、暗がりの中すぐ近くを次々と飛び立っていく飛行機を見る経験なんて、これまで空港内の見学デッキでしかなかっただけに、ちょっと不気味な感じでした(・_・;)
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2013年08月12日

記録的な猛暑(-_-;)





きのう8月11日の千葉県内では千葉で38.4度、船橋で39.0度、茂原にいたってはなんと39.9度と猛烈な暑さになりました。

ちょっと調べてみたところ、気象庁による1966年からの観測で、千葉ではこれまで38度台まで上がったことがなく、船橋では2004年7月20日の38.0度が最高なので、いずれも観測を開始して以来最も高い気温となり、記録に残る1日になったのは間違いないことでしょう。

管理人はその当日は外出せず家の中にいたので最高の暑さを体感することはありませんでしたが、船橋で37.6度とやはり厳しい暑さとなった前日の10日には墓参りに出かけました。到着したのは16時頃と暑さのピークは過ぎていたものの、それでもじっとしているだけで汗が滝のように出てくる始末(;゚д゚)

もともと汗かきとはいえ、こんな経験をしたのは初めてです。また、まるでサウナの中にでもいるかのようなあれほどの蒸し暑さを体験したのも人生初と言えるかもしれません。

そして、当方がさらに驚いたのは夜の暑さで、10日から11日にかけては最低気温が30度をわずかに下回る程度までしか下がらず、かなり寝苦しい夜となりました。もうこうなるととてもエアコン無しでは寝られないことでしょう。

そもそも過去を振り返ってみると1993年、2003年と10年周期で冷夏だったので、2013年の今年も冷夏になるのではないかという予想もありましたが、それは見事に外れたどころか、例年以上に暑すぎる夏という印象を受けざるを得ません(^^;

今後は13日火曜日に一旦暑さはおさまるものの、その翌日からはまた35度近くまで気温が上昇する日がしばらくは続く見込みで、まだまだ猛暑には注意が必要となりそうです。
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2013年07月29日

花火大会でとんだ目に(>_<)





まず東日本大震災が発生した2011年以降、2年連続で10月開催になっていた「足立の花火」ですが、今年は7月20日(土)とかなり早めに行われました。
当方も大会当日に用事で北千住へは行ったものの、混雑するメイン会場に行ってまで花火を見る気はせず、京成で帰るので関屋あたりで少しでも見れればいいかという気でいたのですが、結局音だけでまったく見れないまま帰ることになってしまいました(^^;
せめて京成関屋駅のホームが高いところにあるので見えるかと思ったのですが、この界隈も商業施設やらマンションやら大学やらの高い建物が林立したことにより、今となっては離れたところから見るのは難しくなってしまったのかもしれません。
昔の金八で出てくるような高い建物がほとんどなかった時代に比べると、本当に下町らしい光景が失われてしまったものだと思います。
まぁ当方の考えが甘かったとしか言いようがないながら、この大会については本気で見るつもりはなかったのでまだいいのですが・・・

その後23日(火)に今度はクルマで「葛飾花火大会」へ例年通り千葉県側から見るために行き、こちらは撮影もするつもりでかなり気合いが入っていたのですが、クルマを離れて歩いて畑の中まで行き、もう少しで花火がはじまるというタイミングでカメラのセッティングをし終えた直後、降り出した雨が段々と強くなり、おまけに雷も徐々に接近してきて近くに落ちているのがわかる始末(;゚д゚)
もちろん近くに雷が落ちそうなものなんてないので、自分たちに落ちるのではないかと心底怖くなり、せっかくセッティングしたカメラ等を急いでしまってダッシュでまずは北総鉄道の高架下へ逃げ込みなんとか難をのがれたのですが・・・
雨だけならまだしも、雷でこれほど怖い体験をしたのは人生初です(-_-;)
おまけに自分もカメラもビショ濡れで、靴も泥で汚れと、本当にとんだ目に遭いました(⊃д⊂)
そのような状況だったので、花火はまったく打ち上げられることがないまま中止となりましたが、とくに浴衣を着たお姉さんとかも散々だったことでしょう。
都内側では例のDJポリスの心温まる 声掛けに救われた人も多かったみたいですが・・・
とにかくこれは花火大会を中止させるための雷雨だったとしか言いようがなく、どうせ降るのならクルマから離れる前、あるいはせめてカメラをセッティングする前にして欲しかったものです。

さらに27日(土)には、当方は行かなかったものの「隅田川花火大会」が開始から30分ほどで同じく激しい雷雨のため中止になった模様です。
当方はその当日「柏祭り」が行われている柏に行っていたのですが、やはり途中で中止になってしまいました。

このようにとくに今年の夏は花火大会や祭りでの天気の急変には警戒したほうがよさそうです。
posted by SS at 22:22| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月07日

秋の気配





今年の夏は本当に暑かったというイメージが強いですが、その酷い暑さもここへきてようやく一段落といった印象で、さすがに秋の気配が感じられるようになってきました。

もっとも、千葉では今夏の猛暑日が8月17日のたった1日と、東京都心や関東北部に比べればぜんぜんマシといえますが、それでも真夏日の合計が46日で猛暑日になる一歩手前まで気温が上昇した日も多く、また熱帯夜も36日とやはりかなり暑い夏だったことには変わりありません。

これからますます秋らしさが深まり過ごしやすくなっていくのでしょうけど、しかし夏場にどんなに暑くてイヤな思いをしても、毎年暑さがおさまる頃になると何気にもの悲しい気持ちにさせられるのは確かで、それが秋のせつなさというものなのでしょうか。。。

って、、、ガラに合わんか(;´д`;)
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2011年12月26日

X'masパーティー2011





今年のクリスマスも終わってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。

我が家では毎年恒例のクリスマスパーティーを、今年は昨日25日に行いました。

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ほとんど宅配やテイクアウトの食べ物ばかりですが、今年もこうして無事楽しくパーティーを終えられて本当によかったと思っているところです。
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2011年07月04日

さらばコロナのエアコン





当方の部屋で使っていた購入からもはや20年近くにもなるコロナ製のエアコンが、昨年の秋ごろになってついに冷風が出なくなってしまいました。おそらくはガスが抜けただけでまだまだ使えたのではないかと思いますが、インバータータイプではないのできめ細かい制御がなされず寒すぎたりしてしまうことや、当然のことながら省エネタイプではないため電気代もバカにならず、おまけに今年は震災発生により節電に協力しなければならなくなったことから、長いこと使ってきただけにそれなりに愛着はあったものの、思い切って買い換えることにしました。

エアコンについてはヤフオクでパナソニックの2年落ちの省エネモードがあるタイプを無事落とせましたが、問題は取り外しと取り付けです。当方の部屋はなにかとモノが多いので片付けとかいろいろと大変でしたが、以前にも当ブログで述べたようにちょうどテレビもブラウン管から液晶タイプに換えるところで、そのブラウン管のテレビをどかさないことにはエアコンが取り付けられない位置にあったので、うまくタイミングを合わでることでなんとか工事も無事完了しました。

工事を依頼した業者は以前からいろいろと家のことをお願いしてきた顔見知りの便利屋さんだったので格安でやってもらえて、結局エアコンの本体と取り付け、古いエアコンの取り外しと回収などすべてを含めてジャスト4万円で済み、ちょうど地デジ化の準備のほうでも何かと出費が続いていただけにかなり安く済んで本当に助かりました。エアコン本体も中古ながら動作にまったく問題はなく、やはり古いエアコンに比べると快適そのものです(^^)

いくら節電とはいってもかなり暑い日までエアコンを我慢して熱中症になってしまっては元も子もありません。とくに当方の部屋は熱を放つ機器類が多いのでそれはなおさらなのですが、今度のパナのエアコンは28℃設定以上で省エネモードになるので、今年の夏はできるだけそれを厳守していきたいと思っています。

というわけで、20年近くに渡り働き続けてくれたコロナのエアコン、本当にお疲れ様でしたm(_ _)m

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