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2020年09月29日

あの日から6年・・・

管理人の母親が亡くなってからまもなく6年になろうとしています。
やはりどんなに時が経過しようとも、母を失った悲しい気持ちに変わりありません。
今でも母が映っている動画を頻繁に見ることで悲しさを和らげています。
いつでもどこでも動いている母の姿を見れるように、タブレット端末も購入しました。
また、ときどき夢にも出てきてくれることがあり、そんな日はとても幸せな気持ちになります。

ところで、当ブログ本年3月31日付の記事で、母の姉が亡くなったというお話をしました。
5人姉妹中3人がすでに亡くなったことを考えると、もうそういう時代を迎えてしまったという思いがする反面、三女である管理人の母親と長女が70代で、そして今年亡くなった二女の伯母が80代前半で他界したのですが、早死にというほどではないにせよ、現在の女性の平均寿命が87歳程度であることからすると、母方姉妹はあまり長生きできない人生だったような気がしてなりません。
もっとも、現在病気療養中の四女や、まだまだ元気な五女の叔母はできるだけ長生きするよう願いたいものですが・・・

あとその後6月中には秋田県由利本荘市にいた父方の祖母が亡くなりました。
当ブログでも以前90代の祖母がまだ秋田で存命なので、なるべく早めに会いに行かなければと述べたことがありますが、結局それが叶わなかったばかりか、先の母方二女の伯母のときと同様、コロナ禍により葬儀にも行けなかったという始末です。
それによりコロナというのは親族とのお別れすらままならないということをつくづく痛感させられました。
そんな祖母は近年ではさすがにもうあまり元気ではなく、ほぼ寝たきりの状態だったようですが、とくに大きな病気にかかっていたわけでもないので、亡くなったのは老衰だと考えて差し支えないでしょう。
母方姉妹とは裏腹に、99歳まで本当に長生きしたものだと感心させられます。
まさかその秋田の祖母が管理人の母親より6年近くも長く生きるとは思いも寄りませんでした。
これで管理人の父方と母方ともに4人の祖父母を失ったことになり、先の母方姉妹の件も含め、幼少時代からよくかわいがってくれた親族がどんどんいなくなってしまっていることに淋しさを感じずにはいられません。

そのほか管理人の家族や親族とは無関係ですが、ここのところ芸能人の自死が連鎖的に続いていることが非常に気になります。
つい先日のとても死を選ぶような人物だとは考えられない竹内結子さんの自殺報道にも心底驚かされました。
竹内さんと結婚したばかりの旦那さんはもとより、2人の子供さんも本当に気の毒でなりません。
どんな理由があったのか第三者には知る由もありませんが、自殺する前に思い直すことはできなかったのかと実に悔やまれるところです。
役者さんというのは非凡な才能に恵まれた人物でもあるだけに、三浦春馬さんや芦名星さんも含め、まだまだこれからの活躍が期待される若手の他界は本当にもったいないことだと思えてなりません。

また個人的にかなり意外だったのは藤木孝さんです。
「西部警察シリーズ」や「太陽にほえろ」での悪役のみならず、「パパはニュースキャスター」などのホームドラマでもなかなか味のある演技が印象的な俳優さんでしたが、80歳と高齢になるまで長生きをしてきたというのに、どうしてここへきて死を選ばなければならなかったのかと。
そもそも死ぬほどの勇気があるぐらいの人なら、どんなことでもやってのけられると思うのですが・・・
管理人は母の他界後に後追いをしたくて仕方なかったものの、結局死ぬ勇気がなくて6年も生きてしまいました。
従って自死ができる人というのは本当に勇気があると思えて仕方ないのです。
また、管理人は死にたいと思う人の気持ちもわからなくはないと同時に、自身もあまり長生きはしたくないという考えの持ち主なので、自殺が絶対にダメだなどと言える立場ではありませんが、こと役者さんなど芸能人の場合だと家族や親族ばかりではなくファンも大勢いるわけで、亡くなると悲しむ人が多すぎるといえるでしょう。
これ以上芸能人の自死が続かないことを強く願いつつ、今回の記事を終わりたいと思います。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(2) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

きわめて迷惑な爺に遭遇





現在のコロナ禍の影響で神経質になりすぎ、ちょっとしたことで他人を攻撃したりするのはどうかと思います。
とくに一生懸命働いている医療従事者や店員等に対しての誹謗中傷などもってのほかでしょう。
しかしつい先日とあるスーパーを利用した際、客側でちょっと我慢ならない70代と思しき爺に遭遇したので、今回はその件について報告します。

以下、その爺の特徴と言動です。

:無精ヒゲ伸ばし放題で、まるで浮浪者のような見た目。

:このコロナがまだ収束していない時期にマスクをせず。

:レジ待ちの際「よしだむさし」と意味不明なワードを大声で連呼。

:同じくレジ待ちでソーシャルディスタンスを守らず、前にいる客の直後に立つ。

:別に何もしていない客に対して威嚇するかのような振舞い。

今回の件で、昨年あたりに別のスーパーでもやはりレジ待ちで「よしだむさし」を連呼する同じ人物に遭遇したことを思い出しました。
まだコロナの問題がなかった昨年ならまだしも、今のこのご時世にマスクもせず、人との距離も保たず、しかも大声を出すというのは迷惑千万だとしか言いようがありません。
高齢による痴呆、あるいは障害者ならば仕方ないという気がするものの、ひとりで問題なく外出ができ、買い物をしてレジで支払いも行なっていたので、その点では健常者だとしか思えなかったり・・・
ディスカウント系のスーパーだったとはいえ商品点数も結構多く購入していたので、困窮しているほどではなさそうにも思えました。

とにかく皆さんもこの爺に不運にも遭遇してしまった場合はくれぐれもお気をつけください。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月31日

悲しい出来事が次々と…

管理人の母親が亡くなってからまもなく5年半になろうとしています。
何年が経過しようとも、母を失った辛く悲しい気持ちにまったく変わりはありません。
そればかりか、そんな悲しみにさらに輪をかけるような出来事が起きてしまったのです。

実は管理人の母は5人姉妹の三女でした。
その5人中、長女も2007年に他界したので、母が亡くなって以降は二女、四女、五女の3人になっていたというわけです。
そのうち80代になる二女の伯母が昨年の夏ぐらいに脳梗塞で倒れて入院したという話を聞き、すぐにでもお見舞いに行きたかったものの多忙だったことや、入院している病院が東京の杉並区内でちょっと遠いこともありなかなか行けずにいたのですが、11月になって中央線方面へ用事があったのでその際にようやく伺うことができました。
そのときは意識が思いのほかしっかりとしており、自分のこともすぐにわかってもらえて、安心したと同時にとても嬉しかったのはいうまでもありません。
伯母も心から喜んでくれたみたいで、別れ際には少し後ろ髪を引かれる思いがしたものです。
管理人自身の母親が入院していた頃、面会に行ったときの別れ際に毎回強いられた淋しい気持ちをつい思い出してしまったこともあったのでしょう。
姉妹だけにどことなく似ているとも感じされられたり・・・
ちなみに伯母と会ったのは、管理人の母の法事のとき以来だと思うので、5年ぶりぐらいだったでしょうか。

そのお見舞いに行った際、伯母以外の家族とは残念ながら誰とも会えなかったのですが、年を越してすぐに伯母の娘さん、すなわち管理人のいとこから別に何もしたわけでもないのにいきなりLINEが届き、管理人へのお見舞いのお礼を発端としてやりとりするようになったことで、伯母の様子もよくわかるようになりました。
そしてまた近いうちにお見舞いに行きたいと考えていたところ、新型コロナの感染拡大です。
この時期、都内に入るのは極力避けたいので、あきらめざるを得ませんでした。

そうこうしているうちに、つい先日亡くなったという連絡が入りました。
いとこの話によれば、亡くなるつい2時間前まで面会に行っており、とくに危篤というわけでもなくはっきりとしていたので、まさかその後すぐにとは思いもしなかったそうです。
その知らせを聞いた管理人は、心から悲しい気持ちになりました。
管理人の母親にきわめて近い実姉の他界は本当に残念でなりません。
ただ亡くなった後の今となっては、11月に会いに行っておいたことがせめてもの救いだったという気もしています。
お見舞いにまったく行かず、会うことのないまま亡くなっていたら、本当に後悔したことでしょう。
なお、葬儀についてもやはりコロナの影響により家族のみですぐに執り行なったとのことです。

とても美人でモダンな感じの伯母でした。
昭和時代には南青山のマンションに住んでいたこともあって強く憧れたり・・・
5人姉妹の中でもっとも気が強く、ずけずけと物を言うタイプでもあったのでちょっと苦手だと感じた時期もあったものの、実家でもあった管理人宅へ来ると正月は必ずお年玉をくれたり、それ以外でも普段はとても口にすることがない高級で美味しいお菓子を持ってきてくださったりと、親切で心優しい伯母でもありました。
本当にいろいろな思い出が頭をよぎり、悲しみに暮れているところです。
また、これで5人姉妹中3人が他界してしまったことになり、どんどんいなくなってしまうことが淋しくてなりません。
四女も脳梗塞により療養中なので、元気で暮らしているのは五女の叔母のみとなってしまいました。

このように悲しみが深まっている中、今度は志村けんさんの訃報を聞き、強いショックでどうかなりそうです。
その件については後日あらためて記すことにしますが、管理人にとって志村さんをはじめとしたドリフターズのメンバーは、子供のころから楽しませてくれ、母親を亡くしたときには心の救いにもなってくれた、いわば恩人のような存在だけに、本当に無念だとしかいいようがありません。
肉親や親族以外の死去でこんなに辛い思いを強いられるのはきわめてめずらしいことです。
母を失ってから5年半という時期に、まさかこれほどショッキングな出来事が立て続けに起こるとは思いませんでした。

最後になりましたが、伯母さん、そして志村けんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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2019年12月17日

爬虫類が苦手ながら・・・





先日、家の中でテレビを見ていたところ、手の甲がなにやらモゾモゾするので見てみると、こんなのがへばりついていたという(大汗)
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爬虫類が大の苦手な管理人はそれを見た瞬間、思わず「ギャ!」という奇声をあげつつすぐさま振り落としました。
しかし、そのまま逃がしてしまったらまたいつ身体にくっついてくるかわかりません。
寒い季節になったせいか幸いにして動きがかなり鈍かったので、なんとか誘導して瓶に入れることに成功しました。

それにしてもどうしてこんなヤモリが家の中にいたのでしょうか。
おそらくその数時間前に庭木が伸びていたので剪定した際、服についたことに気づかぬまま家の中に入ってしまったのが原因ではないかと。
その後すぐに別の部屋着に着替えたものの、剪定時の服についたヤモリが時間をかけて管理人の手に這ってきたのでしょう。

人をビックリさせて頭にきたのでそれからも瓶の中に閉じ込めておいたのですが、これまではグロという印象でしかなかったヤモリも観察してみると顔や動きなどがなかなか愛らしいと思えるようになってきたのです。


そこでしばらく飼ってみようかと考えたのですが、水分は瓶の中に少々入れたものの、問題となるのは餌でしょう。
ネットで調べてみたところ、ヤモリは肉食で基本的に生餌(生きた虫)しか食べないようなので、飼育困難という判断に至りました。
従って愛着が湧いてしまいちょっと別れ難かったものの、死なせてしまっても可哀想で後悔するだけなので再び庭へ放すことに・・・
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イモリは「家守」という表記もされるように家を害虫などから守ってくれている生物でもあるらしいので、これからも我が家を守って欲しいという願いを込めつつお別れをした次第です。
それ以来、爬虫類を飼う人の気持ちが何気にわかったような気もしたり・・・
posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

あの日から5年・・・

管理人の母親が亡くなってからちょうど5年になろうとしています。
あれから5年もの歳月が流れるとは実に早い感じがすると同時に、母とともに暮らした日々がどんどん遠ざかってしまっていることに多大なる寂しさを感じずにはいられません。

老後まで長生きしたくないという考えも相変わらずです。
それによりとくに母を失って以降は健康などおかまいなしという生活を送ってきました。
しかし今年に入ってから病院でかなり久しぶりに血圧を測る機会があったのですが、190という数値を見たときはさすがにヤバいと思い、それ以来は塩分の摂取量を控えるようにしています。
先述したように長生きする気はまったくないものの、生きているうちは何事もなく生活ができるよう、健康に少しは気を使おうという考えには変わったと言えるかもしれません。

そう考えるようになったのにはもうひとつ理由があります。
それは当ブログ本年5月6日に更新した記事で述べたように、足腰の痛みで非常に辛い思いをしたからにほかなりません。(当ブログ過去記事
とくに無理なストレッチを行って症状が悪化した4月頃の痛みには本当に参りました。
母が管理人のことを見守ってくれていないのではないかと悲観的にもなったり・・・

しかし、とても良心的で信頼できる接骨院に巡り合えたことで、少しずつ症状が改善しました。
そこは5月6日の記事でもお話したところと同じ接骨院で、4月に通い始めた当初はほとんど良くならずむしろ痛みが強くなるばかりだったのですが、先生によれば坐骨神経痛は治るまで長くかかるケースが多く、3ヶ月ぐらいはみなければならないということだったので、週に1〜2回程度、根気強く通い続けた結果、確かに7月に入ったあたりでだいぶ良くなってきたのです。
それまでは無理だった徒歩で出かけることも可能になり、およそ3ケ月ぶりに電車に乗れたときは感激ひとしおでした。

ただ、その後も完全に痛みが治まってはいなかったものの1ヶ月間はなんとか週1のペースで歩いて出かけられたのですが、8月に入ってから再び痛みが悪化し、またもや徒歩で出かけられない状態に陥ってしまったのです。
その原因は痛むのに少し無理をして普通のペースで歩いてしまったことや、接骨院通いを勝手に週1から2週間に1度に減らしてしまった影響も大きかったのかもしれません。
そのためまた週1で通うようにしたところだいぶ改善し、9月に入ってから再び出かけられるようになったというわけです。
つい先日も電車で相模大野まで行ってきたのですが、少し痛みが残るもののなんとか長い距離を歩けるようになりました。
しかも帰宅後から現在にいたるまで悪化するようなこともなく、むしろより改善しているように感じられるほどで、この分でいくと10月中には接骨院通いを終了しても問題ないかもしれません。

病院ではほとんど効果のない薬の処方しかしてもらえなかったのに対し、接骨院の施術では大幅に改善したことからすると、こと足腰の痛みに関しては劣悪なところでなければ時間はかかるものの接骨院のほうがよほど頼りになることがよくわかりました。
自分の足で自由に出歩くことができないことがどれほど不便でつまらない日々を送らなければならないのかを痛感させられたと同時に、ちょっと動くだけで強い痛みが出るほどだった症状が低料金でこれほど治まるとは、接骨院に強く感謝している次第です。
きっと母も改善に導いてくれたのだろうと、前向きに考えられるようにもなれました。
今回の件でやはり人は健康が一番だとつくづく感じたことも確かで、今後は今までのような不摂生な生活をなるべく見直すよう心がけていきたいと思います。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月06日

令和時代のはじめに





今回は令和に入ってから当ブログ最初の記事となります。

ところで、前回の平成最後に更新した当ブログの記事は、新たな時代を迎えようとしている中、あまりにもネガティブな内容になってしまったと思っていますが、それは今現在の管理人に起きているあまりにも酷い状況により、生きる希望さえ失いつつあることと決して無関係ではないかもしれません。

管理人はもともと小学生だった頃から、出かけて疲れたりすると両足になんともいえない痛みを感じることがあったのですが、それはあくまでも一時的なものだったので、原因が気にはなったもののとくに病院へ行くこともなく放置していました。
その後中学時代には交通事故で骨盤にひびが入り10日ほど入院したことがあります。
また、高校時代には駅の下り階段で駆け込み乗車していたところ、足を踏み外し下まで落ちてひねってしまい、その痛みがしばらくおさまらず病院へ診察に行ったこともありました。

そして成人してからは腰痛がときどき出るようになり、重いものを持つときにぎっくり腰を患ったり、とくに季節の変わり目になると痛みが出ることがよくありました。
今から20年ほど前に祖父を亡くした際にはそのショックからか腰痛が悪化し、腰が立たなくなるほどまでに陥り葬儀に出るのも辛かったものです。
まぁそのときは2日ほどで症状がおさまってくれたので病院を受診したりせずに済んだのですが・・・

その後もときどき腰が痛くなる状態は変わらなかったほか、そのうち足の筋肉がひきつるような痛みを感じる日も出てくるようになりました。
しかし、その状態が長引くことはなかったのでしばらく放置していたのですが、5年ほど前に母親を亡くした際、そのショックにより腹部に帯状疱疹を発症し、葬儀の頃になるとおそらく帯状疱疹後神経痛だと思いますが両足全体に強い痺れを感じるようになったため、これはさすがにヤバいと思い病院へ行ったところ薬を処方されただけでとくにこれといった治療は行わなかったのですが、1週間ほどして症状がおさまったものです。
それからも腰や足が痛むことはときどきあり、痛み出してから数日たつとおさまるの繰り返しでした。

しかし、昨年の夏ごろになると足の痛みがおさまらなくなり、とくに左足のふくらはぎの痛みが長く続くようになってしまったのです。
秋にはとある繁華街で無意識のうちにちょっとした段差を左足で踏んだところバランスを失って転倒し、足首をひねったことがあったのですが、それによりますます症状が悪化したのか、ふくらはぎの痛みがより強くなる一方でした。

今年に入ってからは出かける際に市販の痛み止めの薬を飲まないと歩くのが厳しいぐらいの状態になり、また立ったり歩いたりを長く続けると辛くなるのに対し、座ったりしゃがんだりすると痛みが和らぐので、歩いてはしゃがむの繰り返しで、店の中では商品を見るふりをしてしゃがむということが頻繁になったものです。
このようにあまりにも痛みがおさまらないことが不安になったので3月あたりに病院へ診察に行き、レントゲンを撮ったところ加齢により腰椎の一部が狭くなっている部分があり、ふくらはぎの痛みは間違いなく腰からきているものだろうという結果でした。
そしていよいよ歩けないほどになったら手術ということで、その時点では薬で様子を見ることになったのですが、処方された薬を飲むと確かに少しは痛みが和らぐ気はしたものの、毎日飲んでいると胸やけを起こすようになったほか、それらの薬はあくまでも痛み止めであり、症状を改善するものではないことは間違いありません。

従って薬を飲むよりもネットで紹介されているストレッチなどを試したほうが効果があるのではないかと考え、いろいろと検索して調べてみたのですが、4月に入ってからふくらはぎの痛みをおさえるための腰を反らすストレッチというものを見つけたので実行してみたところ、逆に症状を悪化させてしまったという・・・
すなわち痛みが左足の太ももや腰にまで広がり、少しの時間でも立ったり歩いたりするのが辛いような状態になってしまったのです。
また、今では同じく左足の先に痺れが出るようにもなりました。
それにトイレで便座に座るだけでも痛むほか、咳やくしゃみをすると腰あたりに響いて激痛に襲われたり・・・
寝ているときも少しでも腰を動かすと痛むため寝返りが打てないことに加え、ずっと太ももが痛むときは一旦寝ても短時間で起こされたりするため寝不足になってしまう始末です。
3月中に病院へ行った頃はまだ腰の痛みはなかったので、太ももの痛みが腰からきているものだと言われてもよくわからなかったのですが、悪化してからはそのことを実感させられたと同時に、坐骨神経痛らしいことも判明しました。

管理人は在宅勤務なので幸いにして仕事は続けることができているものの、日常生活に支障が出るようでは本当に困るので、家から近いところにある接骨院へ行ってみることにしました。
しかし、そこで骨盤矯正や鍼などを行っても痛みが改善しないどころかむしろ強くなるばかりなので、再び3月に行ったのと同じ病院へ診察に行ったのですが、呆れたことに医師にかなり痛むことをどんなに訴えようと、またしても同じ薬を処方するの一点張りで、なんの治療も行おうとしません。
そこは結構大きな総合病院で、母が最期までお世話になったことから行き慣れているため、医者嫌いの管理人でもなんとか利用する気になれる病院ということもあるのですが、薬の処方しかしてもらえないことから、今後はもうすっかり受診する気が失せたというものです。

もっとも管理人のような症状の場合、病院では神経をブロックする注射か、あるいは手術ぐらいの手立てしかないらしく、注射は単なる痛み止めのため症状自体が完治することはなく、一方の手術をしても必ず治るとは限らず、失敗することさえあるらしいので、なるべく避けたいという気持ちが強いことも確かですが・・・
それならばしばらく接骨院で様子をみるしかないと考え、現在でも通っているところです。
そこの先生の話やネットでの口コミによれば、坐骨神経痛というのは治るまで長くかかるケースも多いらしく、中には接骨院に通ってから3ケ月目にしてようやく痛みがおさまってきたという話もあるぐらいなので、長い目で見なければならないのかもしれません。
それにひどくなると立ったり歩いたりはもちろん、座っていることすら厳しくなり、寝たきりになってしまうこともあるらしいので、座敷や椅子に座っている状態ではほとんど痛みがなく、たとえ少しの時間でも痛みを堪えつつ歩行ができる管理人はまだいいほうだと言えるでしょう。
あとバイクに乗っている分には痛むことがなく、そのために接骨院へもなんとか通うことが可能で、しかもそこは駐車場がないものの、すぐ前まで乗り付けて止めることができることも非常に助かっています。

しかしもうここ3週間ほど好きなスーパーにも行けず電車にも乗れず、楽しみを奪われているような気がしてなりません。
しかも平成が終わるという重要な時期に、接骨院やごく近場の外食以外はほとんどどこへも出かけることができませんでした。
まぁ前かがみになればそこそこ歩けるので、カートを押しながら小規模な店ならば買い物もできるのですが、まだ見た目はそれほどの歳ではないのに、まるで腰の曲がった高齢者みたいな姿で歩くしかないという・・・
それにこれは坐骨神経痛になった人にしかわからないことだと思いますが、足腰がとくに痛む日は本当に辛く、すぐに死んだ方がマシだとさえ思えてしまいます。
管理人のことを強く見守ってくれているはずの母に呼ばれているのではないかという気もしたり・・・
そのような辛い状況により前回のような記事を書いてしまうことにつながったのは間違いないでしょう。

ただ、ここへきて接骨院で先月末あたりから行っている低周波の電気治療に効果があるように感じられ、就寝中の強い痛みは和らぎました。
また、ネットで坐骨神経痛などの症状には筋肉を柔らかくするのが効果的との話があり、そこで販売されているDVDに収録されているストレッチの一部がYoutubeにアップされていたため、懲りずにそれを行ってみたところ、確かに立ったり歩きだしてから足腰が痛みだすまでの時間が以前より少しばかり長くなったように感じられるのです。
まだ実行してから2日目なのでその効果のほどはよくわからないものの、これを1日3回ぐらい毎日続けていけば徐々に改善していくのかもしれません。


つい長々とした記事になってしまいましたが、今回述べたことから管理人が子供のころよりいかに下半身にまつわる受難を繰り返してきたのかがわかろうというものでしょう。
現在の坐骨神経痛は、それら過去のさまざまな怪我や症状が積み重なって起きたものであることも考えられるかと思いますが、とにかく1日も早く治って自由な生活が送れるようになれることを願ってやみません。

令和最初の記事も決して明るいとは言えない内容になってしまいましたが、管理人としては足の症状をシッカリと治し、まだしばらくは生き続けるつもりなので、これからも当ブログをよろしくお願いします。
posted by SS at 23:44| 千葉 ☁| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

あの日から4年・・・

管理人の母親が亡くなってからちょうど4年になろうとしており、今年もまた母のことをとくに強く思い出さずにはいられない酷な時期を迎えてしまいました。
4年が経過した現在でも、母に対する想いになんの変化もありません。
相変わらず起きているときはいつも母のことが頭の中にある状態で、また寝たら寝たで夢の中に出てくることもときどきあります。
そのうえ今現在も生前の母親が映っている動画を見ながらこの記事を書いていますが、そのようにいまだに母の動画を頻繁に見たり、なんの用事もないのに母が旅立った病院へしばしば足を運び、ときには院内へ入ることがあったりという点も、なんら変わりありません。

そんな母の元へ早く行きたいという思いを胸にしつつ、4年も生きてしまいました。
今の管理人が生きていられるのは、なるべく早く母との再会を果たすという思いがあってこそなので、絶対に長生きしたくないという考えも決して変わることはないでしょう。
また、個人的には母のこと以外にも老後まで生きると酷いことになりそうな事情がいろいろとあるだけに、長生きできないといったほうが正しいかもしれません。

具体的には60歳ぐらいで死ぬのが理想的といったところでしょうか。
確かに60歳というと世間的にはまだまだ若いのにという感じがしますが、個人的には60年も生きればもう十分だと言えます。
現在の日本人男性の平均寿命が81歳だとすると、60歳からさらに20年以上も生きなければならないというのは、管理人にとって苦痛以外のなにものでもありません。
また、今現在は母のことを除けばまぁ自由奔放で楽しい毎日を送れていますが、60歳以上まで生きるとそうとは言えなくなるのが明白なので、楽しい人生のまま幕を閉じることのできる年齢の目安が60歳程度ということもあります。

それだけに、今となっては老後も長生きしてしまうのではないかということが不安でなりません。
ドラマ「特捜最前線」の刑事役でおなじみだった俳優の夏夕介さんが2010年1月に59歳でお亡くなりになられた際、個人的に大好きな俳優さんだったので残念でなりませんでしたが、その一方でこのように60歳前後で人生を終えることのできる方に対して、不謹慎ながら羨ましいと考えてしまうのも正直なところです。
その夏さんの死因は胃がんでしたが、がんなどの病気にかかるのが怖いのは当然ながら、老後も長く生きなければならないよりはまだマシだとも思えたり・・・

まぁ母親を失って以来、それほど酷くはないものの以前よりも不摂生な生活を送るようになった管理人が、平均寿命まで生きるとはとても考えられず、それに最近の国内の災害状況からすると60歳まですら生きられるかどうかもわからないわけですが、とにかく今しばらくは母に会えないことの辛さに耐えつつ、毎日を生きていくつもりです。
posted by SS at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

髪の毛がいい感じに(^^)





管理人が10代や20代だった頃は、髪の毛がとても太くてゴワゴワしていたものですが、それが歳を重ねるごとに次第に細くなり、密度もだいぶ低くなったような感じがします。
ただ、管理人の父親は頭皮が見えるぐらい髪が薄いので、管理人もまだ若かった頃に、自分が今現在ぐらいの年齢になったら髪がヤバいことになるのではないかと予想していたのですが、幸いにしてまだハゲてはおりません。
そればかりか、ここ数年は髪の毛が浮き上がり、まるでボリュームアップした感じに見えるようになってきているのです。

その原因はなんなのか・・・
まずシャンプーやリンスは無名の安物を使っているので、それらの効果ではないと思います。
そうなると、もうかれこれ5年以上前より洗髪後に使用している、イオンPBトップバリュの薬用育毛トニック以外に考えられません。
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実際に髪のボリュームが増えているのかどうかはわからないものの、とにかく浮いてくれて、髪がつぶれてペタンとなっている状態とは印象がまるで異なります。
そのうえ管理人の場合は白髪染めをしているので、髪の見た目は今でも若々しさを保っていると言えるかもしれません。

ちなみに一流メーカーである花王サクセスのボリュームアップタイプのシャンプーも試したことがありますが、管理人の髪にはあまり効果がありませんでした。
また、もっと過去には花王サクセスの薬用育毛トニックも使用していたことがあるものの、液ダレしやすいうえ、とくにこれといった効果が感じられなかったというのが正直なところです。

トップバリュの薬用育毛トニックは液ダレしにくいためとても使いやすく、しかもそういった一流メーカーのものよりも安価にもかかわらず効果があるとは、まったく驚きとしか言いようがありません。
ネット上では何かと良くない評判を見かけるトップバリュ商品で、実際に問題が発覚したことも何度かあるのは把握していますが、個人的には食品、生活雑貨問わずよく購入しています。

あとは今より髪の量が増えることまでは望まないものの、生きているうちはなんとか現状維持して欲しいといったところでしょうか。
posted by SS at 23:50| 千葉 🌁| Comment(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

あの日から3年・・・

早いもので管理人の母親がいなくなってからまもなく3年となります。

3年が経過しようとしている今になっても、自分の母を思う気持ちになんら変わりはありません。

母のことがつねに頭の中にあるような状態であることも同じです。

そして毎年命日前後のこの時期を迎えると、2014年のことが思い出されて本当に嫌な気分になります。

やはり管理人がこの世で生き続ける限り、そういった思いに変化が生じることはなく、永遠に続いていくのでしょう。

ところで、母の生前、もし母に何かあったら自分はもの凄い悲しみに襲われ、朝から晩まで毎日のように泣き明かすのではないかと考えていました。

ところが、現実には葬儀中はもとより、ひとりでいるときさえも、ほとんど泣くことがなかったのです。

母の余命を知らされてから、管理人自身の身体に通常ではあり得ないさまざまな症状が現れただけに、きわめて強烈な精神的ショックを受けていたことは間違いありません。

それではどうして泣くことがなかったのでしょうか。

もともと管理人の中には絶対に人に泣き顔を見られたくないというかなり強い思いがあるので、葬儀中に泣かなかったのはまだわかるのですが、ひとりでいるときは感動的な音楽を聴いたり、ドラマのシーンを見たりしただけでも思わず涙腺が緩むことがあるにもかかわらずです。

それはおそらく「悲しすぎて泣けない」という状態に陥っていたからでしょう。

人というのは、本当に悲しい出来事が起こったときに、ショックが大きすぎて唖然とさせられたり、心に空虚感が生じて精神状態が停滞したりして、泣くという感情が起こらなくなることが往々にしてあるようです。

また、泣けば少しは気が楽になるとも言われますが、管理人の場合は泣くことによって悲しみが倍増し、生きていることが辛くなってしまうことに恐怖を感じていたほか、泣くというのは母の死をあっさりと認めてしまうことになりそうなので嫌という思いもありました。

管理人は今でも母の他界を完全には受け入れていません。

無理に受け入れる必要はないという思いもあります。

それは、自分自身の心の中ではまだ確実に生きていて、強く見守ってくれいることがひしひしと感じられるからです。

そういったことから、今でも母を思い出して泣くというようなことは、まったくといっていいほどありません。

さすがに辛くなるときはありますが、そうなった際には相変わらず母の生前の動画を見ることにしています。

というわけで、やはり老後も長生きしたいという気持ちにはとてもなれないものの、母が見守ってくれているという思いが、今現在の管理人にとってもっとも大きな心の支えとなり、ほんの少しではありながら淋しい気持ちが徐々に緩和されるようにはなってきています。
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2016年09月26日

あの日から2年・・・

母親を失ってからまもなく2年となります。

2年目の命日を迎えようとしている今になっても、母のことが頭から離れることはありません。

そればかりか、母が生きていた時代がどんどん過去へと遠ざかってしまっていることで寂しい気持ちが募るばかりです。

最愛の存在を亡くしたことを考えると、それも当然かと思いますが・・・

そして、そんな管理人の思いは今後も決して薄れることはなく、生きている限り続いていくのだと思います。

ただ、管理人なりの楽しみもいろいろとあるので、なんとかこの2年間生き延びることができました。

辛くてどうしようもなくなったときには、今でも母の生前の動画を見ることで少しばかり気が楽になります。

また、母が夢に登場することも時々あるだけに、管理人の心の中では現在も生きてくれていると思え、それが救いになっているということもあるのでしょう。

ところで、管理人は子供の頃から心霊現象や亡霊の存在はわりと信じているほうで、現在でも稲川淳二の怪談話をよく聞いたり、ヤラセくさいものが多いとは思いつつファミリー劇場で放送されている呪いのビデオシリーズも面白くて見たりしているのですが、自分自身は霊感がまったくといっていいぐらいなく、これといった心霊体験をしたことも皆無です。

従って、母の亡霊にならば会いたいぐらいなものの、残念ながらこの2年間そういった体験はなく、動画や静止画に映り込んだりということもありません。

ただ、今だからお話すると、管理人の自宅の玄関には来客確認用のカメラを取り付けてあり、毎日ほぼ終日に渡り録画をしているのですが、2年前に母の火葬が行われた当日、その映像に真っ黒い煙のようなものが立ち込め、本来の映像がほとんど確認できないほどになってしまっていたのは不可解な現象でした。

それはまるで火葬炉の中の煙さながらといった感じで、しかもその現象が起きたのは母の火葬とほぼ同じ時間帯であり、それ以外の時間はまったく問題なく正常に映っているというのが本当に不思議でなりません。

それが心霊現象なのかどうかはわかりませんが、やはり通常では考えられない出来事というのは実際に起こりえるものだとつくづく思った次第です。

話が脱線してしまいましたが、このように命日が近づくと当ブログで母に関する話題をつい取り上げてしまうことからも、いかに管理人の母への思いがまだまだ強いかがよくわかろうというものでしょう。

読者の方々には恐縮ですが、そんな状態が来年以降もずっと続いていくことは間違いありません。

もっとも、相変わらず長生きをしたいとはどうしても思えないので、当ブログもいつまで続くかわかりませんが・・・
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2016年03月07日

初めてのインフルエンザ?





3月に入ってからすぐに風邪のようなだるさを感じはじめ、その翌日に頭が割れそうなほどの痛みに襲われると同時に、熱を計ってみたところ39度以上もあるような状態となりました。

その後も解熱剤を飲むと37度台にまで下がるものの、効果が切れると再び39度台にまで上がるの繰り返しで、ときには40度を記録したこともあります。

管理人はまず医者には行かない人なので、これが本当にインフルエンザなのかどうかわかりませんが、おそらく間違いないでしょう。

そして今までインフルエンザにかかったことがあるのかどうかも不明なものの、これほどの症状が出たことは今までなかったので、多分初めてではないかと思います。

それにしても今までインフルというものを甘く見すぎていたとしか言いようがありません。

もっとも恐ろしいと思ったのは、現在では熱も下がりだるさも結構おさまったというのに、合併症のようなものが根強く残っていることです。

まず、ピーク時よりはぜんぜんマシになったものの、今でも咳はまだ出ます。

そしてピーク時に味覚障害が出て、何を食べても味がわからずまずくて仕方ないので、食欲がなくなりました。

それが今では食欲は幸いにして戻りましたが、味覚障害は相変わらずで、味の感じ方が以前とは異なるように思えてなりません。

それと同時に嗅覚障害も発生し、強烈なにおいを放つようなものでもほとんど感じられなかったり、発症前とはまったく別のにおいを感じたりともうめちゃくちゃです。

とくにタバコに以前ではあり得なかったようなきついにおいを感じるようになったことには驚かされました。

こういった味覚障害などは、人によって正常な状態に戻るまで1ヶ月程度も要する場合もあるらしいですが、当方の場合はいつになったら正常になるのか、あるいはもう戻らないのではないのかと不安でなりません。

あと熱などがおさまってから睡眠障害も出てきました。

もともと寝つきがいいほうでなないものの、寝ようと思って布団に横になってから5時間以上も起きっ放しのことがあり、これほどまでに寝られないというのは今までほどんとなかったことです。

それで結局2・3時間しか睡眠を取れずに仕方なく起きると、また頭が割れるように痛くて話になりません。

とにかく発症前の状態に戻るのにはまだ時間がかかりそうですが、もうインフルエンザはこりごりです。
posted by SS at 23:50| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

およそ23年ぶりの街





新宿から小田急ロマンスカーに乗って本厚木へ行ってきました。

7年ほど前に登場した車両ながら、現行のロマンスカーの中では最新のMSE60000形に乗車したのは初めてのことです。

クリックで拡大!

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そして乗車中、海老名付近を通りかかった際に、今月29日のグランドオープンを控えている「ららぽーと海老名」を望むことができました。

🎥10秒ごろより




その後新宿から44分で本厚木に到着したのですが、考えてみればこの街を訪れたのは1992年頃以来になるので、かなり久しぶりのことです。

まずはその前回訪れた際にも寄ったことが思い出される「厚木サティ」を引き継いだ「イオン厚木店」に行ってみようと思い、そちらの方向へ歩いていたのですが、イオン脇の通りを挟んだ反対側に「アミューあつぎ」なるなかなか大きくて興味を惹かれるビルがあったので入ってみました。

地下1階から4階までがダイソーやブックオフをはじめとしたおよそ20店舗が営業されている商業ゾーン、5階から8階までが公共ゾーン、最上の9階には映画館が入っており、これは何かのSCが撤退して再生されたものに間違いないと思ったので、さっそく調べてみたところ「厚木パルコ」跡なんだそうです。

厚木パルコは1994年3月に開業したらしいので、1992年頃から本厚木へ訪れていない管理人はパルコがあることをまったく知りませんでした。

その後2008年2月にパルコが閉店となり、アミューとして再生されたのが2014年4月のことなんだそうで、6年以上もの間ずっと閉鎖状態が続いていたということなのでしょう。

商業ゾーンはブックオフ以外は残念ながら閑散とした印象を受けざるを得ませんでしたが、せっかく再生しただけに、テナントの相次ぐ撤退などが今後起こらなければいいと思います。

いっぽうのイオンも、サティ時代からあまり変わらなさそうな店内は地下の食品売場を除き古臭くて寂れている感じが強いだけに、大幅なリニューアルが必要かもしれません。

やはり古い形態のGMSはどこも厳しそうといった印象です。

📷「アミューあつぎ」と「イオン厚木店」
クリックで拡大!


そのほか、駅ビルの「本厚木ミロード」については、駅直結ということもあり相変わらず栄えていました。

なお、時間の都合でイオンとは駅の逆方向に古くからあるヨーカドーに行けなかったのは残念なところです。

🌑本厚木駅周辺の地図
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2015年09月28日

あの日から1年・・・

管理人の母親が亡くなってからまもなく1年になろうとしています。

ちょうど1年後を迎えて、記憶がまだ鮮明に残っていることもあり、やはり旅立った前後の状況を思い出さずにはいられません。

また、命日直前の自分にとって、命日以降になると1年前を振り返っても母がもういないという状態になってしまうことがとても恐ろしく辛いものです。

この1年間、母のことを忘れられた日は1日たりともありませんでした。

それどころか、時間が経てば経つほど母に会えないことへの寂しさが募る一方のような気さえします。

やはり管理人にとって母の存在がどれほど大切なものだったかをあらためて感じさせられると同時に、そういった思いは何年が経過しようとも、生きている限り生涯に渡って続いて行くことでしょう。

そんな自分にとって心が救われる気分になれるのは、なるべく早く母のところへ行くと考えることです。

やはりどうしても長生きしようとは思えません。

そのため、タバコの本数が増えたり、食べるものにも気を使わなくなったりと、母の生前の頃以上に健康に関しておろそかになったというのが正直なところです。

ただ、以前にも書いたように、当方はこれまで身体に不具合が起きても医者にも行かずことごとく放置してきたにもかからず、どういうわけかみんな自然に治ってしまうので、もしかすると長生きしてしまうのではないかという不安もありますが・・・

あと母をがんから救ってあげられなかったことに対する後悔もいまだにかなり強いものがあり、その点でも毎日のように心が痛んでいるのですが、著名人でもがんが進行すると助からず次々と亡くなっている現状を考えると、どうしようもなかったと思えることも確かです。

つい先日、女優の川島なお美さんが胆管がんによりまだ53歳という若さで亡くなられたのも、そのうちのひとつと言えるでしょう。

9月はじめの記者会見でテレビに出られた際、見た目ではその激やせぶりにかなり危ないのではないかと感じさせられた反面、口調はとてもお元気そうで前向きな発言も多かっただけに、それからわずか17日後に訃報を聞かされようとは、あまりの早さに強い衝撃を受けました。

それから少し前の9月19日にはフリーアナウンサーの黒木奈々さんが胃がんにより32歳で、また5月22日には丸山夏鈴さんというアイドルが肺がんによりまだ21歳という若さで亡くなられたことなどにより、がんという病気の恐ろしさをあらためて痛感させられる次第です。

そして、そういった例があることを考えると、75歳まで生きた母はまだよかったのではないかと思えなくもありません。

管理人自身ががんで命を落とす分には構わないものの、まだまだ生きたいと思っているのに亡くなってしまう方や、愛する人を失って悲しむ方がこれ以上増えないよう、できるだけ早く進行したがんでも治せるようになる日がくればいいのですが・・・
posted by SS at 23:32| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

日本は大丈夫なのか?





5月30日の管理人は用事があって埼玉県の大宮に行っていました。

その帰りにJR武蔵野線で南越谷から西船橋まで戻るつもりで乗車していたのですが、新八柱駅に停車した途端、車両があり得ないほど大きく揺れたので、すぐに大きな地震だとわかりました。

その後一旦ドアが閉まったので、JRでそんな大きな地震が起こったにもかかわらずすぐに発車できるのかと思ったのも束の間、すぐにドアが開いて大地震発生のためしばらく運転を見合わせるとのアナウンスが入ったのです。

それから当方さっそくスマホで地震情報を見てみたところ震度4程度なので、間もなく運転が再開されるだろうと予想してそのまましばらく車内で待機していたのですが、15分ほど経過しても一向に動かず、いつになったら再開されるかわからないので、急遽予定を変更して新京成の八柱駅に行ってみたところ、若干遅れながらも動いていたので、とくに混乱に巻き込まれず無事帰宅することができました。

以前にも都内で結構大きな地震が発生した日に出先から帰る際、他のほとんどの鉄道が大混乱している中、新京成は普通に動いていたのですんなり帰れた経験があるのですが、今回もまたそんな新京成の強さに感心させられた次第です。

そして、今から10年以上前の2004年(平成16年) 10月23日に発生した新潟県中越地震の当日も管理人は大宮を訪れており、本震と余震の大きな揺れでとても怖かった記憶を思い出さずにはいられませんでした。

実はここのところ各地で火山活動が活発になっていたり、5月25日にも関東でわりと大きな地震があったばかりだったため、この日も大地震などが起きそうな予感はしていたので、当方としては案の定といったところでしょうか。

それによりあまり遠くまで行くと帰れなくなる不安もあったのですが、地震が発生したのがちょうど新京成に乗り換えることができる新八柱だったのは、つくづく運がよかったと思います。

また、マグニチュードは8.1と大きかったものの、震源がかなり深かったことで巨大地震にはならずに済み、大きな被害もなかったことは幸いだったと言えるでしょう。

しかし震源がもしもっと浅かったらと思うとゾーッさせられるのと同時に、近いうちに首都圏がそういった震源の浅い巨大地震に襲われるリスクが高いような気がしてなりません。

先にも触れたように日本各地で火山の噴火だらけというのもかなり気になります。

もし、いつ噴火してもおかしくはないとされている富士山が大噴火を起こしたら、首都圏も壊滅的被害を被ることになるでしょう。

日本は近いうちにあちらこちらで人が住むことが難しいような状況になると考えるのは大げさでしょうか?

少なくとも、現在のような平穏な日々がこの先長くは続かないということを、肝に銘じるときがきているように思えてならないのですが・・・
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2015年03月30日

あれから半年が経過して・・・

管理人の母親が亡くなってから間もなく6ヶ月になろうとしています。

半年も経過すれば生活自体はさすがに通常通りに戻ってはいるものの、とても母がいない状態に慣れることはありません。

やはり長年に渡り一緒にいることが当たり前だった家族を失ってしまった事実を、そう簡単には受け入れられるものではないのだと思います。

それに母の生前、もっとも長く会わなかった時間といえば、せいぜい高校の修学旅行時の1週間程度でしたが、それがもう半年も会っていないことになるわけで、とっくに限界を通り越しているといえるでしょう。

この分でいくと、時間が経てば経つほど母のところへ早く行きたいという気持ちがどんどん高まっていきそうな気さえします。

そして母の他界に加え、今年度は長崎屋、京成赤電や、それ以外にも消滅してしまったものがあまりにも多く、もうなにもかもが終わってしまったという印象で、その度に大きなショックを受けることですっかり疲れ果ててしまいました。

それによりますます生きている意味が薄くなってしまったように思えてならず、たとえ今すぐに人生が終わったとしてもなんの悔いもありません。

ちなみに当方は母の再期を看取ることができなかったので、その前日に病院へ面会に行ったときが最後の別れとなったわけで、本日30日はそれからちょうど6ヶ月となります。

また、1年前を振り返ってみれば、5ヶ月間の入院生活を経て母が家に帰ってきて心底喜んだのが3月31日でした。

まさかそれからたったの半年しかもたないとは思いませんでしたが、そういったことが今でも次々と頭に浮かんでしまう状態もまた苦痛でしかありません。

とはいえ、やはりみずから命を絶つ勇気などとてもないので、今のところはどうしようもなく生き続けるしかないといったところでしょうか。

あれからもう半年も経つとは、あり得ないほどあっという間だったような印象で、歳を重ねるごとに時の流れがどんどん早く感じられるようになっていることを思うと、そんなに焦らずとも自分の死期だってそれほど遠くないうちにやってきそうな気もするというものですが、とにかく成り行きにまかせつつ、生きているうちは趣味などいろいろと楽しんでいきたいと考えている次第です。
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2015年01月26日

悲しみを静めるために

管理人の母親が亡くなってからまもなく4ヶ月になろうとしています。

まだまだ母のことを思い出して辛くなることはありますが、それでも今では徐々に気持ちが落ち着くようになってきました。

それは、亡くした後も母と一緒に過ごしている気分になれるよう、自分なりにいろいろなことを実行したからだと思います。

今回はこの4ヶ月の間に、当方が悲しみを癒すために実行したことをご紹介しましょう。

まずは家の中で過ごす時間が長い自分の部屋や居間を中心に、故人の写真を多数飾ることです。

人によっては一時的に写真も見たくないという状態にまで陥るかもしれませんが、個人的には母の生前の写真を飾ることで、いつも近くにいる気分に浸れるようになっています。

写真をプリントするために、画像を綺麗に印刷できるプリンターも新たに購入しました。

そして写真ばかりではなく、動画もできるだけ見ることです。

母が旅立った直後は、母が映っている動画なんて悲しみが増すばかりなのでとても見ることができないだろうと思っていましたが、今では動画を見ることでだいぶ心が救われるようになっています。

幸いにして管理人の場合、家庭用のビデオカメラがようやく普及しはじめた平成初期にソニーのハンディカムを購入したので、母がまだ若かった頃からの映像が多数残っているほか、その後もデジカメ等に移行しながら動画撮影を継続してきたので、母の映像は膨大な量になるのですが、それらが今になってかなり役立っていると言えるでしょう。

母が映っている動画を寄せ集めて複数のPCで見ることができるよう、1TBのポータブルHDDも購入しました。

ちなみに管理人の仕事は自宅でのPCを使ったデスクワークがメインなのですが、仕事中にも母の動画を見ています。

ただ、仕事をしているPCで動画を見ることはできないので、もう1台ある別のPCを使い、YouTubeなどの動画を見る目的で買ったUSB接続の8インチサブモニターを繋げて動画を流しているのですが、このモニターがこれほど重宝するとは思いませんでした。

さらに当方が母と一緒にいるような気分になるように実行したのは分骨です。

納骨前に居間の祭壇と自分の部屋用に分骨しました。

そのうち居間の祭壇向けにはヤフオクで覆い袋付の小さな骨壷を1000円以下で落札し、そこに入れています。

また、自分の部屋用に分骨した遺骨を飾るために、部屋にもプチ祭壇を作ってしまいました。

極小ながらちょうどデスクの片隅に何に使おうか迷っていたスペースがあったので、そこへ遺骨とともに母が使っていたお茶碗に米、お椀には塩を入れ、水や好きだったお菓子も供え、造花ながらお花も添えて縮小した遺影とともに飾ってあります。

暗所でもあるので100円ショップで購入したUSB接続のLEDライトでこのプチ祭壇をライトアップしてみたところ、ずいぶん雰囲気がよくなりました。

さらに外出時のために、同じく100円ショップで筒状のカプセルが付いたキーホルダーを買ってその中にも分骨し、縮小した遺影とともにいつも持ち歩くバックに入れることで、母と一緒に出かけているような気分になれたことも確かです。

なお、分骨したい場合は納骨後だとちょっと厄介なことになるので、行うのであれば納骨前がいいでしょう。

あとは家族の他界後、着ていた服や使っていた物だけが残るというのは本当にむなしいものでありながら、とても処分する気にもなれないものですが、管理人の場合はそれらを逆手にとり、さきほどのプチ祭壇のように母の遺品を活かしたり、とくに好んで着ていた服を部屋の中に飾ったりすることで、これらもまた母を失った辛い気持ちを静めてくれているように思えます。

以上、ここまでやるというのはかなり異常だと思われてしまうかもしれませんが、それらにより個人的にはだいぶ気持ちが安らいでいるといったところでしょうか。

大切な家族を亡くして悲しみに暮れている方々にとって、今回の記事内容が少しでも心を落ち着かせるためのお役に立てば幸いです。
posted by SS at 22:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月20日

母の入院や他界とともに・・・

管理人の母親が亡くなってから20日が経過しようとしています。

現在でもとても気が晴れることはなく、母に会うことができないと思うと相変わらず辛くなりますが、一時の深い悲しみからは解放され、今しばらくは生き続けて行こうという気にもなれたりと、なんとか乗り越えられたと言えるのかもしれません。

それも当ブログのコメントで励ましてくださった方々のおかげだと感謝しております。

また、母の入院中はいつ容体悪化の知らせが入るかなど、つねにビクビクしながらの生活を強いられていたのですが、もうそういう心配をする必要がなくなったという点では肩の荷が下りたとも言えそうです。

ただし、管理人自身の身体がとんでもないことになってしまいました。

実は母が9月の初めに入院した翌日から管理人の腹部から背中にかけての右半分に痺れるような違和感が生じるようになっていたのです。

さらに母の余命宣告を受けてからすぐに、その部分にあり得ないほど無数の湿疹のような症状が現れ、痺れとともに痒みも出るようになりました。

それから2日後ぐらいに今度は38度台の熱と激しい頭痛や関節痛に見舞われ、ちょうどその頃に流行っていたデング熱かとも思ったのですが、とくに蚊に刺された覚えはないので、おそらくは母のことで精神的ショックを受けた影響によるものだとしか思えませんでした。

これほどの状態になりながらも、当方はもともと極度の医者嫌いなうえ、母のことを考えると自分なんかどうなってもいいという思いもあって、とても病院へ行く気にはなれなかったのでそのまま放置していたのですが、その後湿疹のような症状はなんとか治まったものの、痺れと痒みはなおも続き、母が亡くなってからはそれがますますひどくなり、いきなりピリピリとした痛痒さに襲われるような状況が続きました。

そして母のお通夜を迎えた当日になると、今度は右足の付け根からつま先まで足全体に痺れを感じるようになってしまったのです。

さすがにこれはまずいと思い、葬儀が終わった翌日に病院へ行く決心をして、母がいたのと同じ病院の整形外科に診察を受けに行ったのですが、腹部から背中にかけての症状と足の痺れは無関係とのことで、まずは足の痺れに関する飲み薬を処方されて帰宅しました。

さらに腹部から背中にかけての症状は皮膚科だというので、その翌日に同じ病院の皮膚科に診察を受けに行ったところ帯状疱疹とのことで、塗り薬を処方されました。

それから10日ほどが経過しますが、毎日欠かさず飲み薬を服用しているというのに、右足の痺れがまったく治まらないどころか痺れ方がますますひどくなり、おまけに左足も右足と同じぐらい痺れるようになってしまい、感覚も麻痺しているので靴やスリッパを履くのにも普通のようにはいかず、クルマの運転もできません。

自力歩行は可能なのでまだいいものの、両足が強く痺れた状態で歩くとどうしても足の疲労感が強くなるほか、感覚もおかしいのでつまづいたりよろめいたりすることもあり、またこれ以上ひどくなると歩けなくなってしまうのではないかという不安も感じます。

一方、腹部から背中にかけての痺れや痒みも、毎日塗り薬を付けているにもかかわらず効果がなく、そのうえ左側の同じ部位にも痺れを感じるようになってきました。

とにかく腹部から下全体が強く痺れているような状態になってしまい、股間のあたりも常に何かで強く締め付けられているような感覚なので、トイレでの排泄時にもかなり違和感があります。

ネットで調べてみると帯状疱疹というのはどうやら早期治療が重要で、放っておくと帯状疱疹後神経痛に陥り、痛みや痺れが長期に渡って続くとのことで、当方はまさにそうなってしまったことが考えられ、要するに手遅れなのだと思います。

そのことについては家族や複数の友人から1日も早く病院に行くことを度々すすめられていたにもかかわらず、頑なに行かなかった当方が悪いので、自業自得としか言いようがありませんが・・・

また、帯状疱疹はストレスや疲れが大きな原因でもあるらしいので、自分の場合もやはり母のことで精神的に強いダメージを受けたことによるストレスが原因で間違いないことでしょう。

そして、当方としては腹部から背中にかけての症状と足の痺れは決して無関係ではないような気がしてなりません。

受診した整形外科の医師によれば、薬を飲んでも治らない場合は手術になるんだそうですが、個人的には手術は絶対に嫌なので、ほかに何かいい治療法がないかネットでいろいろと模索しているところです。

あと、それらとは別に皮膚科に受診しに行った日あたりから、今度は右側の胸部あたりの激痛に悩まされるようになりました。

管理人は喫煙者で、もともと肺のあたりが痛むことはよくあったのですが、今回のはそれとは別の部位で、しかも痛み方もまったく異なるのです。

仮に肺ガンだとすると、症状が出たときにはもう遅いらしいので、かなりヤバいかもしれません。

母の入院や余命宣告などことあるごとに、管理人の身体もこれまでに経験したことのないようなとんでもない状態になり、その後もまったく治らないどころかどんどん悪化しているというのは、同じく容体が徐々に悪くなってついには他界してしまった母との絆みたいなものさえ感じられるというものですが、母が亡くなった後は当方の守り神になってくれているはずなので、もういい加減治ってもよさそうなものなのに、さらに酷いことになっているうえ、胸の痛みまで生じるようになるとは、母はきちんと成仏できていないということなのでしょうか。

なんかあの世にいる母に呼ばれているような感じがしてならないのですが・・・

というわけで、管理人自身としては死ぬにはまだ早すぎるとは思っていますが、残念ながらあまり先は長くないかもしれません。。。

ただ自分が生き続ける限りは当ブログも継続していきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
posted by SS at 21:00| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月13日

母との再会を信じて・・・

今回もまた母に関する内容になってしまうことをお許しください。

まず、母が亡くなる前日に病院へ面会に行ったのですが、そのときはまだ普通に相部屋だったので、まさか翌日に永眠してしまうほど危険な状態だとはまったく想像がつきませんでした。

そして当方は病院で人が危篤状態になったときはICUに入れられ、医師や看護師が延命のために出来る限りの努力を尽くすというイメージがありましたが、母の場合亡くなる当日の朝になって入れられたのは、医師の目が届かなさそうな単なる個室でした。

しかも息をひきとる際に付き添っていたのは父のみで、医師や看護師が来たのは亡くなってからだったそうです。

これはもう末期ガンの患者で救いようがないので、病院側が完全にさじを投げていたとしか言いようがありません。

ちなみに管理人は父より母がもう危ないとの連絡を受けてから亡くなるまでわずか20分ほどしかなかったため、最期を看取ることができませんでした。

もちろんその点の後悔はありますが、10年近く前に愛猫が旅立つのを見届けたときの辛い状況が今でも忘れられないほどなので、より悲しみが深くなりそうな母には立ち会わなくて正解だったような気もしますし、かなり複雑な心境です。

あと、前回は悲しすぎて涙もほとんど出ないと言いましたが、その後母が他界したことを徐々に実感させられるにつれ、途方もない悲しみに襲われるようになりました。

そして葬儀ではお通夜から一晩中母に寄り添いずっと顔を眺めていました。

化粧を施されていることもあったと思いますが、まるで若返ったような綺麗なお顔でした。

ただ単に眠っているようにしか見えないということもあったので、起きてくれるのを期待してしまったほどです。

その後告別式が営まれ出棺となり、母のご遺体もついに遺骨となってしまいました。

自分は人に泣き顔を見せるのが嫌なので、結局葬儀中は一度も泣くことはありませんでしたが、葬儀を終えて帰宅し、ひとりになったときはもうダメでした。

それからも数日間は深い悲しみが続きましたが、母の遺影がいかにも本人らしく、優しげで綺麗な写りで、なおかつ「頑張りなさいよ!」と励まされているような感じもして、見るたびに心が癒されるようになってきたのです。

それに母はしばらく入院生活が続いたり、葬儀場に安置させられていたりと家から遠ざかっていたので、骨にはなってしまったとはいえ久しぶりに家に帰ってきてくれて、一緒にいられるという気分にも浸れています。

あと、管理人は自分自身が他界した場合、向こうの世界で必ずまた母と再会できると考えることにしました。

そう思うことで悲しみがだいぶ和らぎ、なにも今すぐに母の後を追って死ぬことはなく、もう少し生きてみようという気にもなっています。

なので、母とは死別だとか、永遠の別れだとは決して思っていません。

ここしばらく心労がたまり、悲しみに暮れる毎日だったので笑顔になることもほとんどありませんでしたが、今では気分が徐々に楽になり、笑いも戻ってきました。

というわけで、まだ完全に乗り越えられたのかどうかはわかりませんが、管理人にとってはなによりも悲しい母親の他界を体験し、人生でもっとも嫌な儀式である母の葬儀を終えたことで、今後はもう今回ほど悲しく辛い思いを強いられたり、嫌な気持ちにさせられることもないでしょう。

母と再会できる日を楽しみにしつつ、今しばらくは生きていきたいと思っています。

当ブログをいつもご覧の方々にもご心配をおかけしたかもしれませんが、管理人が健在な限り更新を続けていきたいと考えておりますので、これからもよろしくお願いします。
posted by SS at 23:23| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

母を失うということ

10月1日午後、管理人の母親が天国へと旅立ちました。
75歳でした。

母はもともと脳梗塞や水頭症といった病気を患っていましたが、昨年の11月に風邪をこじらせた際、意識までなくなってしまうような状態になり救急搬送のうえ入院。

その2日後に意識は無事回復したものの、その後の検査で胆嚢にガンが見つかり、今年の1月に手術をして摘出。

その時点ではガンが初期だと聞いていたので、摘出によりてっきり長生きできるものだとばかり思っていました。

そして入院生活が長引いたため寝たきりになってしまったながら4月に無事退院し、このときはまた一緒に暮らせることが心から嬉しかったものです。

しかし夏頃から段々と食事を飲み込めなくなり、どんどん状態が悪化していくのに加え、肺炎も疑われるようになったために9月に入ってから再入院となってしまうことに。

それで初期だと聞いていたガンが実は手術をした時点で他の臓器に転移していたらしく、そのせいで状態が悪くなってしまったようで、しかも再入院直後に医者から余命1ヶ月と宣告されてしまったのです。

それから腹水は溜まるわ手足はむくんでくるわと、末期ガン患者の典型的な症状が出て、9月の終わりぐらいになるとついに声を出して苦しむようになり、結局は余命宣告から1ヶ月も経たないうちに、腹水の圧迫による呼吸不全が原因で帰らぬ人となってしまいました。

世界でたったひとりの大好きだった母親を失ったことの喪失感とつらさは、かつて味わったことがないほどのものです。

本当は大泣きしてしまったほうが楽になるのかもしれないというのに、余命宣告でショックを受けてから他界後の現在にいたるまで、悲しすぎて涙もほとんど出やしません。

一時たりとも母のことが頭から離れず、あまりの寂しさに押しつぶされそうで、空虚感により無気力な状態も続き、何をやってもどこへ行っても楽しいと思えなくなってしまいました。

管理人はこれまでの人生で死にたいと本気で考えたことは一度もありませんでしたが、今はもう自分なんてどうなったっていいという気持になっています。

まだ若い頃から、もし母がいなくなったら自分は生きていけるのだろうかとよく不安になったものですが、今まさにそのときを迎え、やはり今後生きていくのが苦痛のように思えてなりません。

自分が生き続けるためにも、母は絶対になくてはならない存在でした。

まぁ当方にはみずから命を絶つ勇気なんてとてもありませんが、ついそんなことを考えてしまうほど悲しくてつらい気分だといったところでしょうか。

母には女性の平均寿命とは言わないまでも、せめて80歳を超えるまでは生きていてほしかったものです。

自分にとっては本当に早すぎる他界でした。

これほど医療が進歩している現在に、その命を救ってあげられなかったことが悔やんでも悔やみきれません。

亡くなるまでの数日間、病院に行くと大好きな母が目の前で苦しんでいるというのに、どうしてあげることもできずただ見守ってあげるしかないという状況が続き、本当に地獄のような毎日でした。

できることなら母の病気をもらって、身代りになってあげたいと思ったほどです。

そんな母は子供がいくつになってもいろいろと心配したり気を使ってくれる、本当に心の優しい人でした。

子供がやりたいと思ったことを、たとえ父が反対しても、賛成して応援してくれる良き理解者でもありました。

若い頃はピアノやエレクトーンの講師、そして晩年は大正琴の師範と、つねに努力し続けてきたその姿に、管理人自身も多大なる影響を受けた、心から尊敬に値する立派な母親でした。

母さん、自分を育ててくれてありがとう。

母さんの子供で本当に幸せでした。

自分にとっては最高の母親でした。

ろくに親孝行もしてあげられずごめんなさい。

これからもずっと天国から見守っていてくださいね。

なんだか今回は悲しみに満ちた私的すぎる内容になってしまい申し訳ありません。
posted by SS at 21:00| 千葉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

とんだ週末に・・・(・_・;)





当ブログをご覧いただいているみなさんは、この週末いかがお過ごしでしたでしょうか?

当方土曜日はほぼ休日なので、家にずっと引きこもっているのではつまらず、ちょっと用事もあったため、たまには大雪の中を歩いてみるのもいいかと思い、午後3時から8時頃にかけて出かけていました。

それにしても予報通りとんでもない大雪でしたねぇ。。。

北海道出身のこの人は久しぶりの大雪にすっかりはしゃいじゃっていましたが・・・(リンク

当方はとてもそんなどころではなく・・・(-_-;)

大雪自体はこれまでにも何度か経験したことがあったながら、今回ほどの猛烈な吹雪は人生初でした。

それから、管理人はどちらかというとガッシリとした体格なので、たとえ雪道でも転ばない自信があったものの、店舗内のツルツルとした床に雪がうっすらと積もっていたり、靴底に雪が付着したまま足を踏み入れたりしたときに、思わずコケそうになったことが何度かありました。

これはかなり気をつけたほうがいいでしょう。

千葉県内はとくに積雪量が多かったみたいで、夜になると鉄道が軒並み運行できなくなりましたが、路線バスは若干遅れながらもしっかりと動いていたことには感心させられたと同時に、とても助かりました(^^)

ただし鉄道が止まったので人が集中したこともあり、かなり混雑していましたが・・・

ということで、少しは北海道や東北などに近い、ある意味貴重な体験ができたのではないかと思いますが、向こうでは雪の降る量がもっともっと多く、気温も大幅に低いわけで、そういった地方の方々の苦労がつくづく偲ばれました。

ちなみに翌9日も鉄道が朝のうち動いていなかったり、クルマの通行が結構多い道路でも雪が夜になってもまだかなり残っていたり、前日には動いていたはずの路線バスも終日運休になったりといった影響が続き、いかにすごい大雪だったかをあらためて思い知らされた次第です。

カメラ船橋駅のロータリーなども辺り一面雪化粧
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posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする