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2011年01月17日

驚愕させられた柏駅前





昭和40年代の終わり頃だったと思いますが、両親に連れられて電車で柏駅前に降り立った際、当方まだ幼かったながらもあまりの賑やかさに心底驚かされた記憶があります。とくに東口にそびえ立つ「そごう」の先進的な建物と、駅とそごうを直接結ぶデッキがそれまでに見たことのない目新しいもので、まるで近未来都市を見ているようでした。

今になって振り返ってみても、その当時少なくとも4つの百貨店と3つの大手スーパーがすでに出揃っていたということで、昭和40年代にこれほど多くの大型店が駅周辺に集約していた例はほかではあまり例がなかったのではないでしょうか。。。
また、驚くなかれ東口のペデストリアンデッキはわが国で初めて設置されたもののようです。

このように、柏駅周辺は昭和40年代後半には現在とほぼ同様の街並みが早くも形成されていたことになりますが、さすがに時間が経った今となってはごちゃごちゃと雑然とした感じや各建物の老朽化が否めないため、以前より駅周辺の再開発の計画はあるものの遅々として進まないようです。ただし東口のペデストリアンデッキについては現在改修中で、来年中には完成する見込みになっています。

以下、ちょうど昭和49年度当時と現在の柏駅周辺の航空写真による比較です。参考までに「扇屋ジャスコ」は現在「カルチェ5」に、「長崎屋」は「ドン・キホーテ」に、「緑屋」は「サンキ」にそれぞれ変わっています。

なお、昭和49年度の空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」を利用しており、またクリックで拡大します!

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posted by SS at 00:00| 千葉 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | 街あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

千葉中心部の現状





街の活性化につながるものとして期待されていた千葉中央地区の再開発ビル「Qiball(きぼーる)」ですが、昨年末にテナントのひとつだった和風レストラン「夢庵」が早くも撤退したり、周辺の商店街も相変わらず人通りが少ないなど、残念ながら空洞化の解消には至っていないようです。やはりきぼーるだけでは活性化は難しく、周りにもかつてのような大型商業施設が欲しいところですが、それを考えると商業地にかかわらずセントラルプラザ跡地がタワーマンションになってしまったことが残念でなりません。今後きぼーるの核テナントとなっているグルメシティまでもが撤退するようなことはまさかないとは思いますが、なんとかしてでも活気を取り戻すための施策をなるべく早期に考えてもらいたいものです。(Qiball公式


大きな地図で見る
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2009年03月02日

津田沼商業施設の変遷





先日、鉄道ブログにて津田沼の鉄道施設の変遷について取り上げましたが、当ブログでは同じ航空写真を用いて商業施設の変遷について解説したいと思います。

:昭和49年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c14/ckt-74-13_c14_5.jpg
この時代は、大型商業施設といえば国鉄津田沼駅の北側に見える逆L字形をした建物の「サンポーショッピングセンター」、大型遊戯施設は新京成新津田沼駅側の踏切近くにあった「津田沼ファミリーレーン」ぐらいなもので、決して魅力のある街とは言えませんでした。それでも、国鉄の北口から新津田沼にかけては乗り換え客が多かったこともあって街として栄えていた方で、昭和47年の総武線複々線化によりこの時点ではすでに国鉄津田沼駅が現在と同じ駅舎に改築されているものの、それ以前は木造駅舎で自由通路がないため、入場券がないと通り抜けもできないといった有様で、南北間が分断されていた影響もあってか南口側は発展が遅れ、これといったお店もなく、あるのは普通の住宅と千葉工業大学ぐらいでした。なお、再開発前の北口にあった小さなロータリーから新津田沼側へ伸びる道幅の狭い斜めのアーケードが非常に印象的で、乗り換えの際には必ずこのアーケードを歩いたものです。パチンコ店や山崎パンのお菓子屋さんなどが軒を連ねていました。
一方、京成津田沼駅側を見てみると、まだ南口に駅ビルの「サンロード」がありませんが、現在ロータリーになっている付近には、その後サンロード内に移転するお店も含めて何軒かの店舗が営業されていたほか、パチンコ店もあったことを記憶しています。また、現在元ザ・クレストホテルのビル1階にある「千葉銀行」は、ほぼ同じ場所にあった単独の建物内で営業されていました。

:昭和54年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/79/ckt-79-3/c22a/ckt-79-3_c22a_6.jpg
昭和49年度からのこの5年間は、津田沼の歴史の中でもっとも大きな変貌を遂げたといっても過言ではないでしょう。新津田沼駅付近に「イトーヨーカドー」「長崎屋」「丸井」、国鉄津田沼駅北口に「パルコ&西友」、南口に「ダイエー&高島屋」とすべてが出揃い、「津田沼戦争」としてマスコミに取り上げられ全国的に有名になったのもちょうどこの頃です。ただし、その戦争に敗れて老舗SCだった「サンポー」がハッキリとした記憶にはないものの、少なくとも昭和55年までには閉店を余儀なくされ、津田沼へ進出してから間もなかった「長崎屋」についても昭和54年には早くも撤退しました。なお、この時代はほとんどの商業施設で屋上が開放され、ゲームコーナーなどが営業されていたものですが、中でもパルコの屋上には自由の女神の縮小像があったことがとても印象的です。こうして一気に発展した国鉄津田沼駅周辺ですが、南口は現在とほぼ同程度まで整備されているものの、北口の整備はなかなか進まず、現在のロータリー部分に牛丼の「吉野家」などが入ったプレハブが建てられて仮店舗のような形で何軒かのテナントが営業されていたほか、例の斜めのアーケードもまだ健在です。
また、京成津田沼駅南口でも「サンロード」がオープンしていますが、まだロータリーなどが整備されず、何軒かの店舗や家が残っているのがわかります。

:昭和59年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-6/c11/ckt-84-6_c11_5.jpg
昭和54年度に比べ大きな変化といえば、「サンポー」の跡地が「パスタビル」をはじめとする新たな雑居ビルに変わっていることでしょう。また、地図では確認できないものの長崎屋だった商業ビルが「大塚家具」として再出発していました。国鉄津田沼駅北口は道路関係が現在とほぼ同じ姿まで整備され、ぺデストリアンデッキも一部を除き設置されています。ただ、例の斜めのアーケードだけはしぶとく残り続け、再開発が進み整然とされていく中にあって、孤立した感じで異彩を放っていた記憶が強く、この昭和59年度の航空写真を見るとさすがに商店ともども撤去はされ始めているものの、まだその面影が十分に残っているのがわかります。
京成津田沼駅南口ではすでにロータリーが整備されていました。

:平成元年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c16a/ckt-89-4_c16a_6.jpg
まず、JR津田沼駅側では北口の再開発もようやく終了し、現在とほぼ同じ姿になりました。また、京成の車両工場だった新津田沼駅の北側が、広大な駐車場とテニスコートに変わり、そのうちテニスコート部分にはこの後屋内人口スキー場の「スキーイングイン津田沼」がオープンします。そのほか、詳細な時期は不明なものの、「西友」が地下の食品売場を残して撤退し、ファッションや雑貨など若者向けに重点を置いた「レッツ」に業態転換されたり、南口の「高島屋」が昭和63年8月をもって閉店となり、ダイエーが運営するディスカウントストア「エキゾチックタウン」になったりしています。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c17a/ckt-89-4_c17a_5.jpg
京成津田沼駅南口については、「ザ・クレストホテル津田沼」の建設のため、ロータリーの東側にあった「千葉銀行」の建物が撤去されました。

:そして最後に現在の航空写真です。

大きな地図で見る

平成元年度からのおもな変化を挙げてみると・・・

・新津田沼駅北側に「イオン津田沼SC」がオープン。
・「丸井」が「ミーナ」に。
・「大塚家具」がアミューズメントや居酒屋などのテナントが入った雑居ビルに。
・「パルコ&レッツ」が「パルコA館・B館」に。
・「津田沼ファミリーレーン」が平成15年11月30日をもって閉鎖され、跡地がマンションに。
・サンペデックの「エキゾチックタウン」が閉店となり、一度全館が「ダイエー」となった後撤退し、現在は「モリシア」に。
・JR津田沼駅南口に「ホテルメッツ津田沼」が開業。
・同じく南口に「ユザワヤ」「丸善」「ダイソー」などが入る「ブロックビル」が開業。
・京成津田沼駅南口に平成4年3月31日「ザ・クレストホテル津田沼」が開業するも、平成14年3月末に同ビル内のスポーツクラブと千葉銀行を残し閉鎖。

といった感じで、津田沼という街は驚くほど大きな発展を遂げてきたのであります。
posted by SS at 20:20| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 街あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

ユーカリが丘今昔





まずは現在の地図でユーカリが丘駅周辺の位置関係をご確認ください。


カメラそれでは、最初に昭和49年度に撮影された航空写真からです。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c11a/ckt-74-13_c11a_22.jpg
京成本線には駅ができる気配すらなく、サティの部分は畑や雑木林ばかりでこれといった道路もなく、普通の人はおいそれと立ち入ることが出来なかった場所だったのがわかりますが、現在の駅北側のロータリー部分には結構な数の民家が立ち並んでいることが確認できます。また、296号線の現在「かっぱ寿司」がある部分は打ちっぱなしのゴルフ場だったことがわかると同時に、さらに範囲を広げると現在「OKストア」がある場所はまったく何もない更地となっています。

カメラ続いて昭和54年度の航空写真です。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/79/ckt-79-3/c20a/ckt-79-3_c20a_20.jpg
この時代になるとサティ付近の造成がすでに開始され、現在のサティ横の道路もまだ未完成なものの敷かれているのがわかるほか、駅北側ロータリーにあった住宅もかなり撤去されています。また、現在OKストアとなっている「イトーヨーカドー志津店」や隣接するマンションもすでに完成しています。

カメラ次は平成元年度です。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c14/ckt-89-4_c14_20.jpg
昭和57年11月に開業したユーカリが丘駅が確認できるのはもちろんのこと、平成2〜4年にかけて完成する駅前のタワーマンションやサティの建設が行われていることがわかります。また、住宅もどんどん増えていることがわかりますが、この時点では駅南側のロータリーはまだ完成していません。余談ながら志津駅前ではマインの建設もはじまっています。

カメラそして最後にもっとも最近の航空写真を参考までに貼っておきます。

posted by SS at 23:23| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 街あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

34年前の八千代台駅周辺





まずは昭和49年に撮影された八千代台付近の航空写真をご覧ください!
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c13a/ckt-74-13_c13a_15.jpg

これによると、駅周辺にはすでに現在とあまり変わらないぐらいの住宅が立ち並んでいるというのに、駅東側の一等地だけが不自然に広くあいているのがわかります。これはおそらく京成電鉄が所有する土地で、のちに商業施設「ユアエルム」やマンションの「京成サンコーポ」などが建設されることになるわけですが、駅東側の「西友」や「十字屋ポポ」、西側の「アピア」や「扇屋」といった商業施設はすでに出揃っていたというのに、どうしてユアエルムのオープンが昭和52年12月と出遅れ、駅前のこんな広大な土地が長いことあいたままとなっていたのか、少々謎です。
ちなみに当方はこの状況を記憶しており、西友のビルの側壁に描かれていた巨大なリンゴの絵が、駅からも見えたことが強く印象に残っています。また、ユアエルムとなる空地の周辺道路をよく見ると、ビッシリとクルマが駐車されているのがわかりますが、当時は路上駐車によるパーク・アンド・ライドが可能だったのでしょうか・・・今となってはとても考えられませんがw

参考までに、ちょうど10年後の昭和59年度に撮影された同地点の航空写真も貼っておきます。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-6/c10/ckt-84-6_c10_11.jpg
posted by SS at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 街あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする