

先日、鉄道ブログにて津田沼の鉄道施設の変遷について取り上げましたが、当ブログでは同じ航空写真を用いて商業施設の変遷について解説したいと思います。
:昭和49年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-13/c14/ckt-74-13_c14_5.jpgこの時代は、大型商業施設といえば国鉄津田沼駅の北側に見える逆L字形をした建物の「サンポーショッピングセンター」、大型遊戯施設は新京成新津田沼駅側の踏切近くにあった「津田沼ファミリーレーン」ぐらいなもので、決して魅力のある街とは言えませんでした。それでも、国鉄の北口から新津田沼にかけては乗り換え客が多かったこともあって街として栄えていた方で、昭和47年の総武線複々線化によりこの時点ではすでに国鉄津田沼駅が現在と同じ駅舎に改築されているものの、それ以前は木造駅舎で自由通路がないため、入場券がないと通り抜けもできないといった有様で、南北間が分断されていた影響もあってか南口側は発展が遅れ、これといったお店もなく、あるのは普通の住宅と千葉工業大学ぐらいでした。なお、再開発前の北口にあった小さなロータリーから新津田沼側へ伸びる道幅の狭い斜めのアーケードが非常に印象的で、乗り換えの際には必ずこのアーケードを歩いたものです。パチンコ店や山崎パンのお菓子屋さんなどが軒を連ねていました。
一方、京成津田沼駅側を見てみると、まだ南口に駅ビルの「サンロード」がありませんが、現在ロータリーになっている付近には、その後サンロード内に移転するお店も含めて何軒かの店舗が営業されていたほか、パチンコ店もあったことを記憶しています。また、現在元ザ・クレストホテルのビル1階にある「千葉銀行」は、ほぼ同じ場所にあった単独の建物内で営業されていました。
:昭和54年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/79/ckt-79-3/c22a/ckt-79-3_c22a_6.jpg昭和49年度からのこの5年間は、津田沼の歴史の中でもっとも大きな変貌を遂げたといっても過言ではないでしょう。新津田沼駅付近に「イトーヨーカドー」「長崎屋」「丸井」、国鉄津田沼駅北口に「パルコ&西友」、南口に「ダイエー&高島屋」とすべてが出揃い、「津田沼戦争」としてマスコミに取り上げられ全国的に有名になったのもちょうどこの頃です。ただし、その戦争に敗れて老舗SCだった「サンポー」がハッキリとした記憶にはないものの、少なくとも昭和55年までには閉店を余儀なくされ、津田沼へ進出してから間もなかった「長崎屋」についても昭和54年には早くも撤退しました。なお、この時代はほとんどの商業施設で屋上が開放され、ゲームコーナーなどが営業されていたものですが、中でもパルコの屋上には自由の女神の縮小像があったことがとても印象的です。こうして一気に発展した国鉄津田沼駅周辺ですが、南口は現在とほぼ同程度まで整備されているものの、北口の整備はなかなか進まず、現在のロータリー部分に牛丼の「吉野家」などが入ったプレハブが建てられて仮店舗のような形で何軒かのテナントが営業されていたほか、例の斜めのアーケードもまだ健在です。
また、京成津田沼駅南口でも「サンロード」がオープンしていますが、まだロータリーなどが整備されず、何軒かの店舗や家が残っているのがわかります。
:昭和59年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-6/c11/ckt-84-6_c11_5.jpg昭和54年度に比べ大きな変化といえば、「サンポー」の跡地が「パスタビル」をはじめとする新たな雑居ビルに変わっていることでしょう。また、地図では確認できないものの長崎屋だった商業ビルが「大塚家具」として再出発していました。国鉄津田沼駅北口は道路関係が現在とほぼ同じ姿まで整備され、ぺデストリアンデッキも一部を除き設置されています。ただ、例の斜めのアーケードだけはしぶとく残り続け、再開発が進み整然とされていく中にあって、孤立した感じで異彩を放っていた記憶が強く、この昭和59年度の航空写真を見るとさすがに商店ともども撤去はされ始めているものの、まだその面影が十分に残っているのがわかります。
京成津田沼駅南口ではすでにロータリーが整備されていました。
:平成元年度
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c16a/ckt-89-4_c16a_6.jpgまず、JR津田沼駅側では北口の再開発もようやく終了し、現在とほぼ同じ姿になりました。また、京成の車両工場だった新津田沼駅の北側が、広大な駐車場とテニスコートに変わり、そのうちテニスコート部分にはこの後屋内人口スキー場の「スキーイングイン津田沼」がオープンします。そのほか、詳細な時期は不明なものの、「西友」が地下の食品売場を残して撤退し、ファッションや雑貨など若者向けに重点を置いた「レッツ」に業態転換されたり、南口の「高島屋」が昭和63年8月をもって閉店となり、ダイエーが運営するディスカウントストア「エキゾチックタウン」になったりしています。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/89/ckt-89-4/c17a/ckt-89-4_c17a_5.jpg京成津田沼駅南口については、「ザ・クレストホテル津田沼」の建設のため、ロータリーの東側にあった「千葉銀行」の建物が撤去されました。
:そして最後に現在の航空写真です。
大きな地図で見る平成元年度からのおもな変化を挙げてみると・・・
・新津田沼駅北側に「イオン津田沼SC」がオープン。
・「丸井」が「ミーナ」に。
・「大塚家具」がアミューズメントや居酒屋などのテナントが入った雑居ビルに。
・「パルコ&レッツ」が「パルコA館・B館」に。
・「津田沼ファミリーレーン」が平成15年11月30日をもって閉鎖され、跡地がマンションに。
・サンペデックの「エキゾチックタウン」が閉店となり、一度全館が「ダイエー」となった後撤退し、現在は「モリシア」に。
・JR津田沼駅南口に「ホテルメッツ津田沼」が開業。
・同じく南口に「ユザワヤ」「丸善」「ダイソー」などが入る「ブロックビル」が開業。
・京成津田沼駅南口に平成4年3月31日「ザ・クレストホテル津田沼」が開業するも、平成14年3月末に同ビル内のスポーツクラブと千葉銀行を残し閉鎖。
といった感じで、津田沼という街は驚くほど大きな発展を遂げてきたのであります。
posted by SS at 20:20| 千葉 ☀|
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